84|181118|函館

 今日は函館山ロープウェイの開業60周年イベントだったらしい。無料開放されて大賑わいだったとのこと。天気の良い日曜日で良かった。

 ぼくはと言えば、明るい時間帯はひたすらノートに向き合っていた。お世話になった経営者のことを書いているのだが、なかなか終わらない。その方々にかつて大変お世話になったわけであるが、やはり特別な思い入れや愛着、そして後悔や申し訳なさがある。

 

 夕方は寿司を食べに行って、夜は久しぶりにテレビを観る。フェルメール展の特番だったのだが、作家の平野啓一郎氏のコメントがあまりにもシャープかつ分かりやすくて感動してしまった。

 

 今日からホテルを移った。函館にはあと4泊の予定である。来週には沖縄に戻り、久しぶりに家族と会える。明日、明後日も単調な日々を送るつもりだ。他の仕事も進めなければならないのだが、いい塩梅でのバランスはとれていないように感じる。

83|181117|函館

 沖縄を出たのが1017日だったから、ちょうど1ヶ月が経ったことになる。数日後には久しぶりに沖縄の家族のもとに戻る。

 振り返れば、この1ヶ月あっという間だった。怠惰に過ごしていたわけではないつもりだが、ストイックに日々を送っていたわけでもない。起きて、決まったことをやって、朝食を食べて、ノートに向かって、夕食を食べ、風呂に入り、娘と電話をして、眠った。ほとんど毎日がその繰り返しである。しかし、いや、だからこそと言った方が適切かもしれないのだが、それなりによく生きていると自分にオッケーを出してやりたいと思う。いつも書き始めのタイミングは、ペンを持つことができないほど右手が痛む。意を決して書き始めると、それなりに進み始める。そんな右手も含めたぼくの身体は、よくがんばってくれていると思う。

 

 当初思っていた以上によくやっているとは思いつつ、当初思っていた以上に相手も手強い。思うようには進まない。毎日行けるところまで行くしかない。その繰り返ししかない。資金的にそう余裕があるわけでもないから、決めた期日を安易な気持ちで延ばすわけにもいかない。しかし焦ったところでゴールが近づくわけでもない。少しだけ先を視野に入れながら、具体的に手足を動かし続けるしかない。

 

 これまでの人生の歩みを振り返っているわけだが、相当デタラメで、行き当たりばったりで生きてきたことに我ながら驚く。それを思えば、何があってもどうにかなるんじゃないかと少し救われる思いもなくはない。あれだけ危ない橋を渡り続けてきたんだし、まぁなんとかなるんじゃないかしらと。もちろん当時は、その危うさそのものを認識していなかったからこそ渡り切れた気もするのではあるけれども。

 

 夕方は刺身、寿司、吸い物、雑炊と「根ぼっけ」尽くしだった。店の大将がそれを30年前に広げた当人らしい。いい感じで愛想があって、いい感じで無愛想だった。仕事への愛とプライドを感じた。とてもいい気分になった。今日は焼き物を食べれなかったので、滞在中にまた来るつもりでいる。

 

 ホテルに戻り、最上階にある夜景バーに行ってみることにした。悪くはなかったが、先日函館山から眺めてしまっていたから、とりたてた感動はなかった。函館山100万ドルにしても、夜景バーにしても、なにごとも直接体験してみないと分からないことばかりだ。

82|181116|函館  

 いつもより遅く起き、朝食をとり、その後は部屋にこもってノートと向き合っていた。過去のぼくはようやく30代となった。我ながら30代前半のぼくは無茶苦茶だったと思う。破天荒と言うべきか、ただのパッパラパーと言うのか。ここまで混沌としたなかを毎日走りきっていたことに感心する。今のぼくには、ここまで振り切ることはできそうにない。

 

 筆はそれなりに進んでいるが、いつまでたっても物語に終わりが見えてこない。11章のペースで進んでいきたいのだが、今日も最後までは辿りつかなかった。そして右手が痛い。痺れている。いつも世話になっている鍼の先生に診てもらいたいが、次の予定は12月中旬である。これ以上悪化しないようにと祈るような気持ちでケアしている。今立ち止まることはできない。

 

 夕方は函館ラーメンを食べた。外は雨が降っている。

81|181115|函館

 湯の川温泉から函館駅近くへと移動した。市場で家族への土産を物色し、ベイエリアから元町を散策。八幡坂の趣味いい珈琲屋でくつろぎ、夕暮れ前にロープウェイで函館山へ。午後4時半にはすっかり暮れつつあり、100万ドルの夜景が眼下に広がっている。ビデオモードで夜景を録ろうとした瞬間に携帯のバッテリーが切れた。明日から仕事に集中し、最終日の夜にもう一度来るしかない。函館山からホテルまでの帰路、明治創業の老舗洋食屋で「昔ながらの洋食セット」なるものを食べに向かう。

 

 今日はボジョレーヌーボーの解禁日だった。2年前の今日、沖縄のホテルでボジョレーを飲んだ。当時を思い出しながら、グラスワインを注文する。あの頃は「あいだの存在」であることを意識していた。そのことは今も変わらないような気もするし、随分と変わった気もする。大きな出来事があり、この2年の転換期、移行期を過ごした。もちろん今もその道の途中である。

 

 まさに今朝、ぼくが何の「あいだ」であり、何を媒介しようとしているのかをコーチとやりとりする流れになり、その気配を感じとったばかりであった。タイミングと言うのか、こういった偶然にぼくは関心がある。函館の夜、ひとりボジョレーと明治の洋食を味わいながら、当時の師匠が祝福してくれているように思えた。

 

 今日1115日は、いったい何の記念日だったのであろうか。ぼくの人生にとって、何かしら特別な意味がある出来事があったと記憶しているのだが、具体的な内容がどうしても思い出せない。まぁそれはそれとして、今日はとても大切なことを決めたのだ。やはりこの日は大切な一日だったのである。書いて表現することに身体を入れていこうと思う。重要度を高く置きすぎて、これまで腰が引けていた。

 

 今日は函館を大いに楽しんだ。これまでとこれからが転換する良い一日だったように思う。

80|181114|函館

 エゴと魂と意思について考えていた。

 

 今ぼくが取り組んでいることは誰かに求められていることではない。ただ、ぼくが誰のことも想定していないかと言えば、そういうわけでもなかったりする。ごくごく身近な家族や縁ある人たちをそれとなく思いながら、あくまで自らの意思にそって悪戦苦闘しながらも何とか前に進もうとしている。

 

 思うのだけど、たとえば家族、あるいは、ビジョンを共有して切磋琢磨しあってきた仲間とか、実のところはぼく自身の分身なんじゃないだろうか。妙に具体的なイメージを伴って、そんな思いが意識にのぼってくるときがある。別々の肉体をもって生きているけれど、ある一つの魂というのか、共通した「何か」をもった人たちは、それぞれ互いの映し身として配役を全うし合っているのかもしれない。

 

 沖縄に移住してある時期からと言うもの、ぼくはある意味で沖縄と同調して生きてきたような気がする。ぼくも10数年を沖縄を拠点に活動してきたわけだが、人それぞれの背景は違ったとしても、ここを拠点に活動している人たちは、みんな魂の根っこのようなところでつながっているんじゃないだろうか。「魂」と言うと仰々しく聞こえるかもしれないけれど、まぁとにかく、みんな心の底でどこか似たような思いをもっているのかもしれない。そんなことを思ったりするわけであります。

 

 かつての同僚も、出会ったときに交わした約束を、ああして果たしてくれたのかもしれない。そう考えると感慨深いものがあるから不思議なものだ。表層的にはつらく苦しい出来事であったとしても、その裏には深い思いが含まれているのかもしれない。当人同士も気づいていないのかもしれないが、それこそが「魂の約束」ってやつなのかもしれない。もちろん単なる妄想かもしれないのだが、時にはそんな風に世界を眺めてみるのも悪くない。そしてそのように眺めてみると、世界はより立体的になり、その解像度を増してくるように思える。

 

 ここ数日で、自らの病気に対する意味や印象が転じたときのことを思い出していた。それに紐付いてかどうか理由ははっきりしないが、いろんなことが少しクリアに見えるようになった気がする。自らに苦をもたらす影が極まったとき、影こそが揺るぎのない光を放ち始めるのかもしれない。それはあらゆることに当てはまるように思う。そしてこんな物思いの場面では、いつものように昔の相方を思い出すのである。

79|181113|函館

 あるアイデアが数日前から頭を離れない。ぼくは果たしてどうしたいと思っているのであろうか。誰からも求められていないことをやり続けながら、ぼくは何かを獲得しようとしているのであろうか。

 今日はある方から、今の関心事を具現化していくための参考書籍を教えていただいた。成果が出るのかどうか、上手くできるのかどうか、喰っていけるのかどうかなど「できない理由」は次々に意識にのぼってくるが、「やりたい」という純粋な気持ちも尊重したいと思う。

 しかし、これまでの経験も含めてぼくのなかにあるもので、誰かの役に立てること、誰かが興味関心をもってくれることがあるのであろうか。しばらく考えはまとまりそうにない。今やるべきことに併行して、これからのテーマを深めていきたいと思っている。

78–2|181112|函館

 羽田から函館に向かう機内。久しぶりにミスチルが聞きたくなった。今の心境を何かしら象徴している気がする。果たしてぼくは「引き金」を引けるのであろうか。

 

 

Starting OverMr.Children

 

 

肥大したモンスターの頭を

隠し持った散弾銃で仕留める

今度こそ 躊躇などせずに

その引き金を引きたい

 

あいつの正体は虚栄心?

失敗を恐れる恐怖心?

持ち上げられ 浮き足立って

膨れ上がった自尊心?

 

さぁ 乱れた呼吸を整え

指先に意識を集めていく

 

僕だけが行ける世界で銃声が轟く

眩い 儚い 閃光が駆けていった

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

そう きっとその光は 僕にそう叫んでる

 

追い詰められたモンスターの目の奥に

孤独と純粋さを見つける

捨てられた子猫みたいに

身体を丸め怯えてる

 

あぁ このままロープでつないで

飼い慣らしてゆくことができたなら

 

いくつもの選択肢と可能性に囲まれ

探してた 望んでたものがぼやけていく

「何かが生まれ また何かが死んでいくんだ」

そう きっとそこからは逃げられはしないだろう

 

穏やかに過ぎる夕暮れ

真夜中の静寂

またモンスターが暴れ出す

僕は そうっと息を殺し

弾倉に弾を込める

この静かな殺気を感づかれちまわぬように

 

今日も僕だけが行ける世界で銃声が轟く

眩い 儚い 閃光が駆けていった

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

こうしてずっと この世界は廻ってる

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

きっと きっと