3|180829|広島

廣島市宇品。路面電車を下車して、それほど広くない道を東へと向かう。これまで訪れたことのない初めての道。6車線ある太い幹線道路にぶちあたる。見慣れた大型家電量販店や地元の自動車メイカーの営業販売所が並んでいる。

 

長い信号待ち。日差しが強い。スーツケースを引き、リュックを背負って歩を前に進める。そうか今は下校時刻なのだ。グレイの制服を着た生徒たちが次々にやって来てはすれ違う。2人組の女子生徒に声をかけた。宇品中學校ですか。やはりそうだった。母が通った學校。

 

昭和205月、数ヶ月後に爆心地となった廣島市白島で母は生まれた。終戦後、軍族だった祖父は仕事がなくなり、転職先の紡績会社から安く借り受けた宇品の長屋に長く暮らしたという。

 

長屋は往時の記憶を残し、想像以上に旧く、高層マンションなど周辺の景色とまるで別世界であった。スマホから送った写真を「あわれ」と彼女は評した。LINEでの短いやりとりであり、何を意図しているのか、その本意がどこにあるのかは分からない。

 

母にも中学生時代があり、ここで幼少期を過ごしていたのだ。感傷的な思いも湧き上がってきはしたけれど、それに浸るには違和感があった。今日はそのときではない。

 

帰路もまた、幹線道路で信号待ちになった。大型家電量販店の隣。瀬戸内海の方角を見上げると、青く美しい空が広がっていた。広島市民球場。なじみのラーメン屋。広島焼き。もみじ饅頭。祖父母と母と従姉。そして宇品。広島は近くにあった。