11|180906|札幌

 201896日。ぼくは札幌にいた。

 来年春までに完了させる予定のプロジェクトの一環で札幌と函館のホテルを視察・訪問するため、前日夕方から札幌に入っていた。

 

 前日の台風21号による千歳空港からのアクセスの悪さには辟易したが、まさか旅先で地震にまで遭遇するとは想像だにしていなかった。

 

 ホテルは停電し、表ではサイレンが鳴り響いている。飛行機や電車、バスなど交通網は一式ダウンしている。当別町にいる知人とランチをしながら相談ごとをさせてもらう予定だったのだが、さすがにこの状況では難しい(難しいというよりは到底ムリなのだが、手元に情報がなく、昼前の時点では何がどうなっているのかすら全く見えていなかった)。チェックアウトを夕方前まで延ばし、昼はホテルの部屋で食べることにしよう。非常用エレベーターはもちろん混んでいる。ホテルに隣接した北海道ローカルのコンビニには行列ができている。どうやら入店制限をしている様子。北海道は肌寒い。半袖シャツに短パンで下りてきたことを少し後悔しながら列に並ぶ。ホテルのロビーは薄暗く、各交差点に立つ警官のおかげで、かろうじて車は動いている。オフィスビルに人気はなく、コンビニや飲食店もほとんど閉まっている。やはり大変なことが起こっているのかもしれない。

 

 1時間足らずでコンビニに入ることができた。コンビニで物色しているタイミングで石狩当別の知人からの電話が鳴る。事情通の彼の話を聞きながら「本当に大変なことが起こっているのだ」と認識するためのスイッチが入る。そのタイミングで十分に認識できたとは言えないが、自らの身に危機が迫っていることを直感した。

 怖い。ぼくはこの場における全くのストレンジャーだ。自分を守らなければならない。自身の持病への対応も含めて想定しておかなければならない。身体が奥底で震えを感じていることに気づく。怖い。北海道を早く離れたほうがいいのかもしれない。もちろん函館は見ておきたい。このまま何も起こらず、すっと平穏な日々が戻ってくるのかもしれない。もちろんそうあって欲しいとは思う。自分のためにも、ほかの多くの人のためにも。なにしろぼくは昨日の夕方に到着したばかりで、北海道に来てからというもの、空港とタクシーとホテルの部屋でしか過ごしていないのだ。地元の美味は何も食していない。けれど今はそんな悠長なことを言っている場合ではないのかもしれない。

 

 パンやおにぎりは全て売り切れていた。北海道産ヨーグルトを3つ、ハムとチーズを少々、あとは低血糖など非常事態用にとポッキーとかりんとうを買う。もしかしたら断水するかもしれない。500ミリのミネラルウォーターを8本。あとは現地の北海道新聞と全国紙。ちょっとしたヒマつぶしにはなる。これだけあれば明日までは十分だ。部屋にはバナナも2本ある。もし明日も全く状況が動かなかったとしても、最低限の水と血糖値を維持できるだけのお菓子があれば、周りに迷惑をかけず生き延びることはできるだろう。

 しかし、さらに最悪の事態を想定すると怖くて仕方がない。今の時点で生命の危機を感じ、過酷な思いをされている方々がいるのかもしれない。けれどぼくは被害者意識に汚染され、そこまで思いを至らせることができない。自分のことでいっぱいいっぱいなのだ。ぼくはどれだけ臆病で小心者なのだろうか。自分の小者さをこれほどまでに認識したのは初めてかもしれない。

 

 当初のプランでは、この日からは札幌市内の別のホテルに移る予定だったのだが、下手にうろちょろ動きまわるのはやめることにする。ぼくにとって北海道そして札幌は全く不案内なのだ。頼れる知人や友人もほとんどいない。いなくはないのだが、こんなときは大体それぞれみんな忙しいものだ。頼りたいという気持ちがある一方で、小心者のぼくはこんなときに知人たちに頼ることはなかなかできそうにない。

 

 知人や友人がそれほどたくさんいるわけでなく、馴染みのある土地でもないというのが、今回わざわざ北海道にやって来た理由の一つである。しかし、今自らが置かれている非常なる状況において、そのことがプラスに働くとは到底思えない。深い愛着がゆえに一体化してしまっている環境から身を離すことで、より意思的で自由な思考が可能になるのではないかと考えていたのだが、その自由とはあくまで安全や安心が確保されていることを前提としたものだったようだ。安全や安心を前提とした自由。果たしてそんなものを自由と呼べるのだろうか。ぼくにはちょっとわからない。けれど、そこに潔さは感じられない。潔くない自分のことを恥ずかしいと思う。けれど仕方ない。これまで体裁を整える努力をしてきた(自分ではそう思っているが、周りの人たちがどう感じていたかはわからない)というだけで、これがぼくの正体なのだろう。函館に行くこともやめておこう。飛行機も予定を早めよう。なるべく早く、速やかに、ここを出なくては。

 

 今は、あらゆる交通機関がダウンしている。現実的に明日に照準を合わせる。薄暗いフロントで延泊をお願いし、宿泊を予定していたホテルにキャンセルを伝える。航空会社に電話し、なるべく早いタイミングで新千歳空港から出られるように変更を依頼する。もちろん乗継ぎで構わない。手段や経路は問わない。とにかく早くこの場から立ち去らなければならない。身の安全ばかり、自分のことばかり、ここから一刻も早く逃げることばかりを考えている。ホテルの非常用電源も遠からず切れるらしい。陽が落ちれば明かりがない。真っ暗で動きようもない。そんな状況がいつまで続くかわからない。今のぼくには耐えられそうにない。

 

 買ってきたハムとチーズを食べる。朝はバナナを食べた。それほど空腹なわけでもない。パソコンのバッテリーは残り約30%だ。日常的な用途でバッテリーを消費するわけにはいかない。携帯電話はなおさらだ。まさにライフラインで、これがなくなったらストレンジャーは孤立してしまう。とりいそぎ妻に状況を共有し、あとは節電のため電源をオフにする。頭痛がする。とりたててやることはない。湯船にお湯を張って、お風呂に入ることにする。電気がつかないから薄暗いが、水やお湯は今のところ問題なく使える。まだ昼の2時だ。

 

 しかしわざわざ沖縄から北海道まで飛行機でやってきたというのに、函館にも行けず、札幌市内の例のホテルにも行けないというのでは、どうにも気持ちのおさまりがよろしくない。そのホテルまでは約3キロ。歩けない距離ではない。しかし途中で何が起こるかわからない、もともと脇は甘すぎるほど甘いのだから念には念を入れておいたほうがいい。血糖測定器や注射、ミネラルウォーターや食料をリュックに詰め、ホテルを折返し地点として市内散策に向かう。

 信号機はダウンし、交差点では警察官が旗を振っている。ほぼすべての店が閉まっている。停電時の光景としては当たり前なものなのかもしれないが、見慣れない様子に違和感がぬぐえない。街中にあふれるコンビニは、2割程度が停電しながらも開店しているようだ。どのコンビニにも行列ができている。近所にスーパーはないのだろうか。わからない。

 

 例のホテルは公園のそばにあった。もちろんこのホテルも停電していて、ホテルらしいサービスが提供されている気配はない。対応しているスタッフから凛とした気品のようなものを感じる。きっと良いホテルなのだろう。カフェラウンジもサービスを提供しておらず開放されている。大きな窓から陽光がさし、気持ちが良い。少し広めの席に座り、もってきた本を開く。

 

 「開かれた」生活から「閉じられた」生活へ。そうなのかもしれない、少なくとも当面のところは。とりわけ大学を卒業して社会人になり、沖縄に移住し、起業してからというもの、ぼくは自らを開くことに挑戦し続けてきた。そんな経験はこれからのぼくをきっと何かしらで支えてくれるのではないか。そう思うと、少し安堵感をおぼえる。

 

 ルーツとは寺子屋、つまり学校である。仮にもしそうであるとしたら、果たして誰がその場で学んでいたと言えるのであろうか。インターンやイベントの運営企画をはじめとしたプログラムや実践機会に関わった大学生であろうか。あるいはルーツでともに働き、次へと飛び立っていった役員や社員やインターン生であろうか。あるいはプロジェクトをともに立ち上げて取り組んできたクライアントや事業パートナーであろうか。

 おそらくは、それぞれがそれぞれの立場や責任において、何かを学び、何かしらを得ていったのだろう。あるいは同時に何かしらを喪ったのだろう。そうして結果的にそれぞれがそれぞれの次へと進んでいき、もうこの場に残っているのは誰ひとりとしていない。ぼくひとりを除いては。

 学校とは何かを学び、そしていつかはそこを去っていくものだ。そのことによって、学校は学校としての責務を全うする。さみしいかさみしくないかという感傷的な要素がそこに入りこむ余地はなく、ただそれが学校なのだ。

 

 ぼくも卒業する時期が来たのかもしれない。いつまでもひとりでここに残って、あるいは過去にしがみつくように生きていくなんてまっぴらだと思う。自分が始めたことを終わらせるだけのことだ。けれど、自分が始めたことを終わらせることが、簡単なように思えていかに難しいのかを思う。少なくともぼくにとっては。あることをきちっと終わらせるには始めるとき以上の覚悟とエネルギーがいる。

 

 あまり長居することなくホテルを出る。行きとは違う道を選んで宿泊先に戻る。なにせぼくはほとんど札幌を体験していないのだ、散策ぐらい楽しんだっていいはずだ。ぱらぱらと小雨が降ってくる。部屋に戻り、浴槽にお湯を張り、お風呂に入る。ハムとチーズとヨーグルトを食べる。昼とまったく同じことを繰り返している。

 

 そろそろ外は暗くなり始めている。幸いなことに部屋の非常灯はまだ点灯しているようだ。ホテルスタッフの想定以上に非常用バッテリーは長持ちのようだ。そう、想定外であるということに善悪はない。明日以後を考え、パソコンのバッテリーは温存し、就寝まで先ほどの本の続きを読むことにする。

 

 明日はどうなるのだろうか。飛行機は飛ぶのだろうか。仮に飛ぶことになったとして、果たして空港までたどり着けるのだろうか。

 今日の時点では全く先が見えない。これ以上考えたところで仕方がない。ホテルスタッフも電力会社やジェイアールの職員も含めて、誰もが今できるベストを尽くしている(おそらくそのはずだ)。今日ぼくが会うことになっていた友人は、自らが被災者でありながら、全国各地からの救援物資を被災地に送るための手はずを整えている。全くもって彼は自らの責務を(おそらくは)超えた責務を果たそうとベストを尽くしている。すばらしいと心から思う。同時にぼくにはできないと思う。少なくとも今のぼくには。

 

 これまではできると思っていた節がある。しかし、いざ現場に立ちあって、ぼくが考えていることと言えば、ひたすらここから脱出するためのことばかりである。いかに自分が生き延びるかということを考え、そのためにぼくはベストを尽くしている。寝るところも食べるものも確保した上で、さらなる安全領域へと自分を置くためのことをひたすら考えている。

 

 全くもって美しくないと思うし、その程度は自分でも呆れるほどである。利他の精神なんてとんでもない。エゴまみれの自分が今ここにいる。

 

 201896日。なぜかぼくは札幌にいる。空白の1日がまもなく終わる。何かが転じた1日。この日のことをぼくはきっと忘れないだろう。