12|180907|札幌

#長文となり投稿が遅れています。数日内に投稿しますので、お待ちください。18年9月9日早朝/今津新之助

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 早朝5時過ぎ。外はほの明るくなっている。ホテルの非常用電源は想定以上に容量があったようで、非常用ルームライトはまだ点灯している。パソコンを開く。バッテリー残量はゼロに近い。交通状況をチェックする。早くても昼まではジェイアールも動かない様子。札幌市内から新千歳空港までのアクセスは行き同様タクシーしかない。やれやれ。そもそも道路状況はだいじょうぶなのだろうか。

 

 続いて携帯でメールをチェック。航空会社から欠航案内が届いている。着信時刻は前日深夜。先のことは何もわからない。だが視界不良を理由にして立ち止まるわけにもいかない。今できるベストを尽くし続けるしかない。ぼくは今日ここから出られるのであろうか。それはわからない、何もしなければ出られる可能性が限りなくゼロに近づくことははっきりしている。

 

 航空会社の電話対応デスクは朝630分から。それまでに延泊の可能性をホテルのフロントで確認しておくことにする。早朝の非常用エレベーターは空いていた。ビジネスマンらしき中年男性がスーツケースを手に乗り込んでくる。もうチェックアウトするようだ。彼はチケットを確保できているのであろうか? 特に会話を交わすことはないままにエレベーターはロビー階に到着する。

 

 フロントはうす暗く、深い疲労が滲んだ気配を感じさせる。フロントマンの表情に疲労感を含んだ困惑が浮かんでいる。「シーツもタオルも当ホテルに全く残っていない状態です。非常用電源もいつまで保つかわかりません。すぐにでも切れてもおかしくない状況です。私どもで皆様にサービスが全く提供できない状況のため、誠に申し訳ないのですが、現時点で本日分のご宿泊はすべてお断りさせていただかざるを得ない状況です。誠に申し訳ないのですが。」

 

 眠るところだけでも貸していただけませんでしょうかと粘ってみるが、彼の立場上、YESとは申し上げかねるとのこと。仕方ない。先の見通しを立てることができずに苦しんでいるのは、ぼくだけではない。彼も含めて大半の人が、先の見えないなかでベストを尽くしている。

 

 そうだ、目の前のこの人も被災者なのだ、と思い至る。ぼくには知人や友人も北海道にそうたくさんいるわけではない。家族や親族は誰もいない。しかしおそらく、彼はぼくとは状況が異なるはずだ。彼は北海道で働き、北海道で暮らしている。彼にとって大切なたくさんの人たちが北海道に暮らしているのではないのか。

 

 そしてその彼は、この非常時において、ホテルを通過してゆくぼくのような旅行者やビジネスマンのために、自らの時間を投じている。ぼくの不快を軽減し快を生み出すために、彼は自らの責務を誠実に全うしようとしている。

 

 果たしてそのことは仕事だから当然だと言えるのであろうか? 今という非常事態にあって、誰が確信をもってそう言い切れるというのだろう。何が常識で何が非常識かは、その時々の状況や背景によって変わる。あるときの常識はあるときの非常識であり、それらは刻々と遷り変わる。そういうものだ。

 

 ホテルマンとして彼が責務を果たしている一方で、いち旅行者であるぼくは一刻も早くこの場から逃げ出したいと思い、そのためのベストを尽くしている。

 もちろんこの場から去ったとて、次なる行き先で、同等あるいはそれ以上の災難に遭遇する可能性があるのはもちろん言うまでもない。とりわけここ最近は、日本列島の至るところで異常気象や自然災害が多発しているわけで、どこに移動しようともそのリスクから逃れることはできない。

 

 しかしとにかくぼくは、この場から可及速やかに立ち去り、自らの身を現段階において安全と予想しうるところに避難させるために、文字どおり懸命なのである。この瞬間のぼくの辞書には「ここから脱出する」としか書かれていない。

 もし仮にその他に選択肢があったとしても、皆目そのことに意識が向かわないのである。その余白や余裕は一切ない。他の何を差し置いても、逃げること、そして当面の快適な環境を得ることに、ぼくは自らの持ちうる全エネルギーを注いでいる。

 ゴールに到達するまで集中を持続させること。そもそものゴール設定が自らの能力を含めた所与の条件をはるかに逸脱したものでない限りは、持続した集中こそが成果をあげることに大きく貢献するのは言うまでもない。今のぼくがやるべき最重要事項である。

 

 今は非常事態である。自らが置かれている環境が現時点でどんな状況であり、12時間以内に、あるいは24時間、48時間、1週間、1ヶ月以内にどのように遷り変わっていくのかという精密な設計図はもちろん、おおよその俯瞰図にしたって、ほとんど誰も持っていないであろう。それはもちろんぼくも、目の前のホテルマンも同じ状況にあるわけである。

 

 そんな今という時点で、目の前のホテルマンは自らの責務を果たそうとして、目の前の来訪者であるぼくに誠実に関わろうとしている。かたやぼくは自らがゴールに到達することだけにエネルギーを集中させ、さまざまなオプションをイメージし、限定的な情報からでもそれぞれのプランの実現可能性やリスクを推測しながら、そのときどきで最適な組み合わせを選択し、自らにとって好ましい環境をつくりだそうとしている。

 

 そうなのだ、ぼくはただひたすらに自分のことばかりを考えているのだ。やれやれ、そんな自分に辟易とする。後ろめたさや申し訳なさが心のどこかにある。もしかしたら、これが「良心の呵責」というものなのだろうか。今のぼくには判断がつかないし、そんなことを深く考える余裕もないし、そもそも今はそんなことを思案する局面ではないようにも思う。たまたま今のぼくには、そのように自己中心的に発想し振る舞えるだけの自由や条件が与えられているだけにすぎず、明日は我が身なのかもしれない。

 いずれにせよ、ここから可及速やかに立ち去ることを決めたのだ。ぼくは掲げたミッションを完遂するために考え行動しなければならない。

 

 当初、今日は函館に宿泊する予定だった。ジェイアールは運休しており、函館までの移動手段はタクシーに限られており、そこまでして函館に行くつもりはない。そうなると、現時点で道内で宿泊する先はどこにもないということになる。さてどうしようか。

 

 冷静になろう。頭を切り替える。一つひとつ進めていくしかない。宿泊に関しては、また後で考えればよい。できるならば今日中に北海道からどこかに違うところに移りたい。そのために何ができるのかに意識を集中して手足を動かそう。航空会社に電話がつながるのは630分から。まだ時間がある。

 

 南の島から北海道までわざわざ飛んできたというのに、当初の目的は全くと言っていいほど果たされていない。こんな非常事態にあっても、あのホテルマンが自らの責務を笑顔で全うしているように、ぼくもその10分の1100分の1ぐらいは自らの責務を果たさなければならないはずだ。果たせるかどうかはともかく、果たそうとしてバッターボックスに立つぐらいは今のぼくにもできるはずだし、今のぼくが果たすべき最低限の義務だろう。

 パソコンをひらけないとしても、他にも道具はある。言い訳がましくごちゃごちゃと考えるより先に、自らの意思を発動させ、自らの手足を動かし、動きながらその先を考えればいい。我ながら、どうにもめんどくさい人間で困る。そしてようやく、ぼくはホテルの机に向かう。

 

 「中部国際空港を経由する便であれば本日分をご準備できます。ただし中部国際空港から沖縄那覇空港までの便は翌日午後の手配となりますが。いかがでしょうか?」電話口で女性オペレーターは言った。もちろん。お願いします。

 

 ほっと一息つく。今日の17時過ぎに出発する便が手配できた。次の課題は新千歳空港までどう移動するかだ。ジェイアールが昼以後に動き出す可能性はゼロではなかろうが、それに賭けるほどの度胸はない。そんなリスキーな賭けに興じている余裕がない。となるとまたタクシーしかない。ホテルまでの往路もそれなりにかかったのだがやむをえまい。

 

 ホテルをチェックアウトしよう。空港までたどり着いたもののやはり運休になったとしたらそのときに考えよう。仕方がない。視界は極めて不良だが、リスクをとって動きながら軌道修正し続けるしかない。眠るところがなければ、空港の硬く冷えた床でもどこでもいい。一晩であれば何とでもなる。何とかするしかない。

 

 昨日ごっそり買いこんだミネラルウォーターが手元に6本残っている。バナナやチーズも少しある。低血糖症に備えた菓子にはまだ手をつけていない。大丈夫、これだけあれば後はなんとでもなる。北海道の友人にお土産で持参した琉球菓子も手元にはある。あれは砂糖漬けだから低血糖にはそれなりに効くはずだ。仮にあと何日か空港がダウンするような状況だったとしても、なんとかなるはず。あとはそのときどきで対応していくしかない。

 

 新千歳空港はどんな状況なのだろうか。昨日は終日封鎖されていたようだが、今はどうなのだろうか。可能な限りで状況を把握しておきたい。エネルギーをむやみに消耗するのは今は避けておきたい。

 時計の針はまだ7時を少しまわったところ。航空会社に電話すると、比較的スムーズにオペレーターにつながる。「10時に空港は開放される予定です。ラウンジ等の利用状況についてははっきりしておりませんので、現地で確認いただけますでしょうか。」なるほど。

 

 ハムとチーズとヨーグルトを口に入れる。歯を磨き、顔を洗い、ひげを剃る。すぐにでも出られるように荷造りをする。スーツケースに入りきらない量のミネラルウォーターをリュックの底に押しこむ。洗面所で水を汲み、トイレの汚物を流す。23日の滞在期間中、湯船には4回浸かった。他にやることがなく手持ちぶさたで落ち着かなかったからだ。シーツをそれとなく整え、バスローブやバスタオルなどを適当にまとめる。ふう。これでいつでもチェックアウトできる。

 

 時計を見ると8時前だ。飛行機の予定出発時刻は夕方5時過ぎ。早めに空港に向かっておいた方がいい気がしてくる。どんなアクシデントがあるか予想もつかない。そもそも空港までのタクシーは手配できるのだろうか。

 

 再びロビーフロント階へ。人の数は増えてきているが、昨日ほどの混雑ではない。「停電の影響もあって、どのタクシー会社も電話がつながりにくくなっているようです。表を流している車を拾った方がいいかもしれません。」なるほど、しかしこの状況下で流しているタクシーを拾うことなどできるのだろうか。できれば予約しておきたい。可能な限りでリスクを軽減しておきたい。

 すると彼はスーツの内ポケットから携帯電話を取りだし、自身の発信履歴からタクシー会社の電話番号を2件ほどピックアップして見せてくれる。番号をメモしようと目をやったスマホ画面には、「母さん」「父さん」とのやりとりの形跡が履歴情報として映し出されている。

 

 嗚呼、目の前にいるこの人も、ぼくが宿泊しているホテルのスタッフであると同時に、ここで日常生活を送っているひとりの人間なのだ。そして、それぞれが置かれた立場や条件のなかで、それぞれが自分にとって大切な人たちのことを思っている。

 

 彼にお礼を告げて部屋に戻る。教えてもらった番号に電話をかける。1件は通信不可を知らせる通信インフラ会社による案内が流れ、もう1件は何度鳴らしても通話中でつながらなかった。この切迫した状況で、ぼくと同じことを考えている人がたくさんいるのだろう。早朝にエレベーターで見かけたビジネスマンは賢明であったのかもしれない。彼と比べると悠長に構え過ぎていたのかもしれない。だからと言って仕方がない。一つひとつのことに気づきながら、軌道修正を重ね、今ここにいる。自分の身を守るという目的のためとはいえ、そのときどきでベストは尽くしてきた。

 

 精算のためにフロントに向かう。停電の影響でシステムが稼働せず、精算が不能になっているという。「後日請求書を送らせていただきますので、振込対応をお願いしてもよろしいでしょうか?」もちろんだ。大変なのはあなた方でしょう。不眠不休で、想定の範囲をはるかに凌駕したこの事態に対応してくれているのではないですか。ぼくは彼らの責務をただ甘受し、この場から立ち去ろうとしている。ここから立ち去れば、ぼくにはいつもの日常が戻ってくる。

 

 先ほどタクシーの件でやりとりした彼がいた。やっぱりつながりませんでした、表で流しているやつを拾おうと思います、とぼくは彼に伝える。「では、こちらでお待ちください。私が表で確保してまいりますので。」そう言い残すと彼は素早く表へと駆け出し、ほどなくタクシーをつかまえて戻ってくる。ぼくの重たいスーツケースを手にしてぼくを乗り場まで導く。ぼくは彼の行為をただただ甘んじて受ける。このホテルのホテルマンとして、これは当然の振る舞いなのかもしれない。でもどこまでも当然ではない今の状況においては、とても特別なことのようにぼくには思える。

 

 タクシーに乗りこみ空港へと向かう。気さくな運転手で、運転も確かそうだ。「あの車もあの車もみんな空港行きですよ。先ほども空港まで送っていったのですが大混雑してました。」ホテルを出てしばらくはなかなか動かず気を揉んだが、高速道路に入ると一気に流れはじめる。どうやら空港までは無事たどり着くことができそうだ。1時間あまり走って、あっという間に新千歳空港に到着する。

 

 空港内は異常なまでに混んでいた。もちろんある程度の混雑は想定していたが、その想定をはるかに超えている。どこに並べばいいのかも一見するだけでは見当がつかない。航空会社の女性職員が丁寧な口調で同じアナウンスを何度も何度も繰り返している。「昨日の地震の影響により大変ご迷惑をおかけしており誠に申し訳ございません。本日の出発便につきましては全て満席のご予約をいただいております。申し訳ございませんが、本日空席待ちは行なっておりません。ご不明な点などがございましたら、近くの空港スタッフまでお声かけいただきますようお願い申し上げます。」

 

 チケットの変更手配は電話で済ませてあるが、カウンターでチケット発行の手続きをしてもらわなければならない。人混みで目指すべきカウンターの場所が見当たらない。ウロウロと歩きまわり、ようやく列の最後尾を見つける。

 ここにいる多くの人が、予定の便は出発するのか、便を手配できるのか、北海道から発つことができるのか、これからどうなっていくのかが見えず、やきもきしたり、いらついたり、不調和な心の状態にいるのであろうか。自らの不調を明らかにおもてに出している人も中にはいるが、外から見ているだけではほとんどの人の内面をうかがい知ることはできない。しかしここにいるほぼ全員が、想定していなかった天災に遭い、それぞれ何かしらの不安や困惑を抱えながら、今どのような行動をとるか、そしてその先にどのような行動をとるかを思案し選択しながら、今この場に臨んでいることは共通している。

 

 そうした状況にあって空港職員の対応は見事だった。地震災害による停電は、彼らの責任に属する領域をはるかに超えている。そして、結果として空港あるいは飛行機がダウンしたことも彼らにとっていかんともしがたいことである。

 しかし、地震を契機にして生まれた非常事態によって、旅行者やビジネスマンも含めたそれぞれが想定していた状況の転換は余儀なくされ、さらに先行きが見えない状況に置かれるなかで多大なるストレスが発生する。平静であれば、たとえば空港職員の責任に属するとして押し付けることなどありえないと認識できるようなことであっても、理性のタガがはずれ、あるいは不愉快な感情に流されて、あるいは他の理由によって、本来誰のせいにもできるはずのない苦しさが、空港あるいは航空会社の責任へと転嫁され、怒りやクレームめいた物言いが発生する。そしてこうした状況において、空港職員は自らの職責としてその怒りやクレームをひとまず呑みこみ、引き受けなければならない。本当に理不尽で不条理なことに。

 

 ひとたびこの場を離れれば、彼女たちも一人の生活者であり、ぼくたちと同じく被災している立場に置かれているのである。しかし新千歳空港という場において、ぼくたちはサービスを受けるお客という立場によって自らを守り、彼女たちはサービスを提供する側となっている。そして彼女たちは崇高なプロ意識のもと、お客に細やかな配慮を重ねながら苛酷な責務を実務的にこなしている。

 

 幸いなことに、ぼくは2時間あまりで行列からは解放された。カウンターで対応してくれた聡明な彼女は、当日中の乗継便を探しあて、その日のうちに沖縄まで帰ることを可能にしてくれた。

 

 カウンターでややこしいことを言うつもりはもちろんなかった。ぼくが望んでいたのはただ一つ、一刻も早く北海道から外に出たい、ただそれだけだった。仮に乗継がうまくいかなくてもよかった、中継地点でホテルを手配すればいいと思っていた。

 

 だが、そのときのぼくにそのように考えることが可能だったのは、今のぼくが自らの責務として引き受けるべきことが少なかっただけに過ぎないのかもしれない。もし状況が異なれば、ぼくは自分に有利な条件を引き出すためにカウンターでめんどくさい交渉をしたかもしれない。絶対にそんなことはやらないと言い切れる自信も確信も今のぼくにはない。今日のぼくはたまたま幸運だったのだ、綜合的にみて。

 

 ぼくは、午後一番の羽田空港行きのANA便に乗りこみ、北海道を後にした。10分遅れで出発した以外は、飛行機は順調に羽田空港へと到着し、ぼくは那覇空港行きの便に乗継ぎ、ちょうど夕暮れ時の美しい時間帯に沖縄に戻った。

 

 平均レベルの高い北海道土産を持ち帰って、家族や友人たちの喜ぶ顔を見たかったが、とてもそんな余裕はなかった。現地で食べたものと言えば、ホテルのコンビニで買ったバナナとチーズとハムとヨーグルト。あとは初日に空港で慌ててかきこんだ函館ラーメンを少し。しかしこれすら、テーブルに運ばれた直後にタクシーの迎えが来たのでほぼ食べることができなかった。あとはペットボトルに入ったミネラルウォーター。足跡を残せたのは新千歳空港とタクシーと宿泊先のホテル。あとは停電のなかで散策した札幌市内の繁華街と宿泊予定先のホテルラウンジぐらいである。

 

 妻子と合流。安堵とともに強烈な疲れを感じる。今のぼくは自分自身と妻と娘、その周辺のことを考えるだけで精一杯だ。誰かのために身体を投げ出して責務を果たすなんてことは、当面できるようになる気がしない。もしかしたらこの先ずっとできないかもしれない。正直なところ先のことはまだ全くわからない。

 

 安堵感に包まれて、自宅のマンションで妻子とともに眠りにつく。自らの責務を全うされていたホテルや空港の職員の方々のことが頭をよぎる。本当にありがたかった。そしてその瞬間の自分自身はどうだったのかと自問自答する。明日どうなるかは誰にも予測がつかない。だからこそ今この瞬間をどう生きているか、自らに問い続けていきたいと思う。

 

 今回の地震の被害が最小限であるようにと願う。もうこれ以上の天災が起こらないようにと祈る。今のぼくにはそれぐらいしかできない。