21|180916|東京

 朝。身支度を整え、チェックアウトのため荷物をつめ直す。しかしどうしてもスーツケースのロックがかからない。閉まらないのだ。

 

 購入してそれなりに日は経っているが、容量が大きく重いこともあって、これまでほとんど使ってきていない。傷んでいるなんて考えられないし、今は考えたくもない。なにせ1819日の旅に出発したのはまだ昨日のことであり、今は2日目の朝なのだ。きっと何かの間違いに違いない。

 

 気を取り直して、荷物を入れ直し二度三度と試してみる。しかし、ロックはまるで緊張感を失っており手応えがまるでない。やはり閉まらないようだ。やれやれ。

 毎度のように思うが、何かをやろうと決めて始めたことが、途中で何の課題もアクシデントも発生せずにそのまま順調に進むことなんてないのかもしれない、きっとそうなのだろう。そして、ぼくがこうした課題やアクシデントを招き寄せてしまう何かを「もっている」のかもしれない。雨男や晴れ女のように。

 

 旅立つ数日前に妻からLINEで届いた「旅は身軽に」というタイトルの記事はまだ目を通していない。そして大半の場合、妻のご指摘は当たっている。

 振り返ってみれば、スーツケースの容量いっぱいに詰められた荷物を見て、多すぎるなと思っていたのだ。そして運んでみると確かに重い。ぼくのカバンは普段から重たいほうだとは思うが、それにしても重たい。限界までやろうとしてしまって抑制ができない、いつもの悪い癖だ。きっと今回も限度を超えていたのであろう。あとの祭りである。

 

 しかし、これからどうしようか。

 

 これを機に手荷物を見直そう。手元にないと不安で、何でもかんでもカバンに入れてしまう。今回は先が見えずらい旅程ということもあって、なおさら不安感が煽られ、荷物が増えた。まったく潔さのかけらもない。うちの奥さんはいつも「それだけ?!」というぐらい軽量のリュックで出張に出ていく。まったくもって潔い。

 これからはぼくも最小限にしよう。できるかどうかはともかく、やってみることにする。旅のスタイルを見直すということは、あるいは生き方を見直すということなのかもしれない。

 

 いずれにせよ、重いスーツケースはイヤだったのだ。生活するうえで本当に必要なものは少ない。自宅でも手元に置いてあるものは少ないほうだ(おそらく)し、少ないことは気楽で心地良い。長期の旅であろうが、限りなく身軽になれるようチャレンジしてみようと思う。

 やはり、妻の言うことは当たっているようだ。彼女の言うことを心に留めずに自分流で動くと、今回のように何かしらの不具合が起こる。そうして自分勝手がバレる。なぜかわからないが、なぜかそうなる。

 

 ホテルのフロントでガムテープを貸してもらう。両サイドを強引に締め付けてガムテープを縛るように貼りつける。スーツケースの開口部周辺はガムテープだらけ。満身創痍の様相で見栄えは良いとは言えないが、どうやら応急措置はできたようだ。

 

 しかしさすがに電車で移動する勇気はない。傷口を塞いだテープが剥がれて中に入れたものが飛散することを考えると、気が気でない。考えられる限り、慎重にコトを運ばなければならない。この日の宿泊先のホテルまで辿り着き、安心安全な環境をひとまず確保したうえで、その先の打ち手を考えればいい。宅配便で送るのか、旅行カバンを新調するのか、一時的にでも誰かから借りるのか、あるいは他の手段や組み合わせもあるかもしれない。いずれにせよ、まずは安全圏に到達しなければ。

 

 数多くあるスーツケースのなかから、ぼくはこのスーツケースを選んだ。とりわけ少し落ち着いたトーンのエンジ色が気に入っていた。

 このエンジ色のスーツケースは、ぼくの何かを象徴しているのではないだろうか。不慮の事態で新調を迫られたことは確かに災難であり、ぼくは現実的な対応をしなければならない。そうしない限り、ぼくが東京から先に移動することができないのが実際だ。しかしそれと同時に、これから新たな旅をするにあたっての祝福のようにも思えてくる。真相はわからないが、スーツケースは何かしらを兆している。