44|181009|大阪

 コーチに薦められ、村上春樹の『職業としての小説家』を読んでいる。柔軟性に乏しく硬直した世界観がゆるまり、何かしらのズレが内面に生まれているような気がする。

 

 表現するために時間をかけて仕込んできた。根っこを深く張りめぐらせるために現実との格闘があった。そこで経験した苦悩や葛藤を滋養として、その根にエネルギーを蓄えてきた。そんな風に考えてみるのも悪くないアイデアかもしれない。

 

 これまで節操なく生きてきた。振り幅が大きめの人生を歩むなかで、節操がないことは一貫していた気がする。節操のなさがぼくの根を育ててきた。もちろん結果論だが、そんな風に考えてみる。

 

 いつの頃からか自己表現に苦手意識や抵抗感をもつようになった。にもかかわらず、どこかしら表現することを求めていた。深くから湧きあがるその声が止むことはなかった。

 

 少しでも良く生きたいという願いは、新しい世界への挑戦をいざない、現実世界の厳格な様相をぼくに映した。しかし直面してきた数々の失敗や挫折、困難や苦悩こそが、地中の養分となって次なる表現を支えてくれるのかもしれない。

 

 誰もが「表現者」としての可能性をもっているのかもしれない。自らそう名乗ってみるのも案外悪くないかもしれない。