46|181011|札幌

 決めたことを決めたようにやることができない。さまざまな出来事がぼくの意思を問うている。やりたいことがあって、それをやりたいという実感もあって、あとはその実感に素直になって進んでいけばいいとは思いつつ、なかなか真っ直ぐに進むことができない。気兼ねなく自由に選択できる状況が手元にあるにもかかわらず、それに全身全霊で応えられていない自分自身がどうにももどかしい。何かが引っかかっている。

 

 ぼくには多数の物事を同時並行に進めていける器用さはない。その代わり、やると決めたことに自らのエネルギーを集中させて、貪欲にストイックに、一定の到達点を目指して進むことを重ねて生きてきた。決めたことに対してはあきらめが悪く、粘り腰でしぶとい方だと思う。しかしそうしたプライドや信念は時に過剰となりがちでもあり、偏屈さや頑固さを生み、他者との協調をたびたび妨げてもきた。挫折や失敗の多い人生を歩んできたように思う。

 

 不恰好な生き方かもしれない。世間一般の枠からは随分とはみ出してしまっているかもしれない。もう少しうまく生きられたらと思わなくもないけれども、どこかのタイミングで道を(大きく)踏み外してしまったのか、今更そちらの道に戻ることもできそうにない。やってみて、体験してみないと分からない。始めてみて、とことんやってみて、行き着くところまで行ってみて、痛みや苦悩や葛藤を味わってみて、そこまでいかないと理解できない。親身な忠告には大切なメッセージが含まれていると理解はしているつもりだが、結果的に自分の思いこみに執着して突き進んでしまう。要はアホなのである。ぼくにとっても至極残念なことではあるが、ここに至るとそれを誇らしく思うしかない境地になっているのも事実である。究極的に自分勝手なのかもしれない。

 

 愚鈍なぼくが幾らかでも成果をあげようと思えば、時間を意識し、それを味方につけなければならない。どれくらい長期戦になるかは見当もつかない。もしかしたら道の途中で引き返したくなることもあるかもしれない(ぼくにはたびたび起こることだ)。あるいは現実的な事情から、この道を泣く泣く断念しなければならないこともあるかもしれない。しかしいずれにせよ、今目の前にあるテーマに全身全霊で取り組まなければ悔いだけが残るだろう。

 

 結局、今のぼくは中途半端なのだ。未練タラタラに後ろ足が残っている。ウダウダ言っているあいだに、具体的に手足を動かしてみたら?! もう一人のぼくは呆れていて、もう一人のぼくは悲嘆に暮れている。

 

 自らに幸運が訪れることを願う。しかしそれは誰かが保証してくれるものではない。そう改めて自覚するところからリ・スタートを切りたいと思う。