50|181015|沖縄

 この春から「職業としてのコーチ」を始めた。「職業として」という枕詞に「金銭的な対価を得て」という意味を含んでいる。卒業論文コーチングに焦点を当てるなど、これまでも興味関心をもってきたし、その思想や技術を取り入れた実践活動を展開してきたつもりではある。しかし自らを「コーチ」と明確に位置づけて他者と関わってきた経験はなく、始めるのにはいくらかの勇気を要した。

 

 苦境に陥ったぼくを、精神的あるいは実際的に支えてくれた知人友人がいる。彼らに恩返しできることは何かと考えたとき、自分にはそれほどたくさんの選択肢がないことに気づかされた。そして、自身の経済活動と結びつけることに何かと抵抗感を覚えてきたコーチこそ、ほかの何よりぼくが恩返しできる選択肢なのかもしれないと思うに至った。

 

 先日、中学時代からの親友に「コーチをやり始めた」と話すと、「シンノスケの天職じゃない?!」と返ってきた。え?!そうなの?と彼の反応には驚いたものの、もしかしたらそんなこともあるのかもしれない。コーチという職業とこれまで探求してきたテーマとが別物だという感じはない。

 

 そう言えば、創業したばかりの20代の頃はそんな思いを語っていたような気もする。あまりにも昔のことで、忘れてしまっていた。当時はその思いを現実に変えるための知恵も経験も覚悟もなくて、喰っていくのは難しいと早々に結論づけて、別の道筋を探索してそれを選択した。

 以後10数年、楽だとは言えない道を、どうにかこうにか行き着くところまで歩みきれたんじゃないかと思っている。満身創痍ではあるが、少なくともまだ死なずに生きている。自腹を切ったからこそ獲得できた知恵や経験をもって、懐かしい場所へと戻ってこれたのかもしれない。

 

 

 この日は、コーチとして伴走している友人とのデザイナーも交えたミーティング。デザイナーが一球入魂で投げ込んでくる提案の一つひとつを、友人は真っ直ぐに受け止めては投げ返す。そうしたやりとりを重ねていくうちに、地中に埋もれていた抽象的で可能性しかない世界から、個別的で具体性を帯びたイメージがその姿をあらわし始める。そしてひとたび表出すれば、まるで確固たる意思をもってそのタイミングを待ち構えていたかのように局面は大きく展開し始める。

 

 そんな瞬間に立ち会えたとき、この仕事の醍醐味を感じる。予測不能なダイナミズムに身を委ねながらも、どこにも依存しない澄みきった意思をもって場に臨む。そして充分なだけの時と対話を重ねながら、決定的な瞬間が姿を現すのを待つ。一度そこに至れば、それ以前の世界には戻ることのない転換点。そんな瞬間に立ち会うことを仕事として選んできた自分は幸せ者なのかもしれない。