54|181019|札幌

 コーチとの久しぶりのやりとりに癒される。ホームランを打とうとしていたかもしれない。随分肩に力が入っていた。打席に立ち続けるだけでオッケーを出していたはずが、欲を出して大振りするようになっていた。

 

 一か八か。博打な人生をこれまで送ってきたと思う。負けることは絶対に許せなかったから、いつも肩に力が入っていた。もちろん緊張から距離をおいて休みたいと思うことはあった。しかし一度休んだら元に戻れなくなりそうで怖かった。どこまでも堕落し奈落の底に落ちていきそうな気がした。そもそも「休む」ということがどういうことなのかもよく分からなかった。

 

 なぜ自分を責めてしまうのだろう。その行為が何かしらの価値を生むという認識があれば、苦行として耐えればいいと少しは思えるのかもしれない。しかし現時点でのそれは単なる自己満足の域を越えず、限られた資源をむだに消耗しているとしか思えない。ぼくは自分のことを信頼していないのだと思う。一度沈めば二度と浮上できないと心のどこかで思っている。不安や不信が常に傍らにある。

 

 自らの意思が働かず、惰性や情動に流され、行き着くところまで行ってしまう可能性が生まれたとしても、そんな今の自分を「よしよし」と優しく見守ることはできるのだろうか。そんなもう一人の自分を育てていくことはできるのだろうか。そんな誰かがいれば、少しは自分のことを赦し認めてやれるのだろうか。

 

 北海道は寒い。今日はスープカレーを食べた。ススキノにはまだ行っていない。