56|181021|札幌

 今日も快晴。部屋にこもっているのがもったいない気がして、朝食後に公園を散策することにする。立派なカメラをもった一群と遭遇。老若男女が入り混じり、カメラやSNSの話をしている。一体この集団は何者なのだろう。池の鴨と紅葉とのツーショットを狙って集まっているんだって。ふーん。

 

 紅葉が美しい。ぼくも携帯でパシャリ。撮ったものを見返すことなどほとんどないが、なんでもかんでもカメラに収めたくなる。これも中毒や依存の一種だな。こうして生活様式も思考様式も少しずつシフトしていくのかもしれない。

 昨日と同じコーヒーショップに立ち寄り、昨日と同じものをテイクアウトする。明日も公園を歩いて、この店に立ち寄るような気がする。

 

 午後は文学館に立ち寄り、詩人の生涯に触れる。ぼくの恩師も詩人である。ぼくは詩を書いたこともないし、読むこともほとんどない。詩というものを理解しているとは言い難いが、詩が奏でるイメージの広がりには憧れる。

 20歳の頃から読書はぼくの生活の一部となっていったが、それは生きるためのやむにやまれぬものであった。詩だけでなく小説も含めたいわゆる文学というものに、ぼくは興味をもたなかったし、特定の作家以外の作品には触れてこなかった。

 ぼくはいわゆる文学青年ではないし、今も文学が好きかと問われれば、本は好きだが、文学が好きだとはとても言えない。ぼくの読書は生きる必要に迫られたものであったから、ぼくが受けつける作家やテーマはとても限定的であった。ぼくは世界を広げるために本を読んでいたのではなく、自分自身を確認するために本を読んできたのだ。

 

 そんな自分を振り返りながら、これからは少しずつでも読書や文学そのものを楽しんでいくことができればと思う。

 

 ともあれ、ぼくは本が好きであり、間接的であれ著者と関係をむすぶことができる読書という行為をこよなく愛している。そしてその感覚はパソコンの画面では代替できないものであり、ぼくは質感を求めて本屋に向かってしまうのである。そうして今日も札幌の書店で数時間を過ごし、絞りに絞った挙句、4冊の購入に至ってしまうのである。

 

 今のリズムが気に入ってきたので、あと1日ホテルを延泊することにした。思っていたより仕事が進み始めている。