57|181022|札幌

 昨夜はなかなか寝付けなかった。うとうとと意識が遠のきそうになるのだが、胸や肚のあたりに何か正体不明のもやもやがへばりついて剥がれない。気分が悪く、その正体不明の何かしらを口から吐き出そうと大声で叫んでみるのだが、状況は一向に改善の気配を見せない。であればと無視を決めこんで目を閉じてみるものの、それはついに身体中を蠢き始め、ぼくはあまりの気味の悪さに体を起こし、ベッドそばのライトを付けた。洗面所で手を洗い、水を飲みこむ。机の前に座り、気持ちを落ち着かせる。ここ最近はなかったが、数年前まではよくあった。時計を見ると消灯してから3時間が経っていた。

 

 そんな翌朝に限って早く目覚めるのだから不思議である。目覚めてしまったんだからと諦め、決めたことを決めたように順序よくこなしていく。そんな簡単なことが案外と難しいのだが、今日は淡々と前に進んでいった。一昨日か昨日ぐらいからリズムが良い。

 

 時間に余裕ができたので、前日にオンエアされた村上春樹のラジオをradikoというアプリで聞き、村上龍のエッセイ最終巻を読む。全ての男は消耗品である。このタイトルには下の句がある。いずれにせよ20年以上読んできた愛着あるエッセイが終わるというのは、何とも言えずもの悲しいものである。

 

 今日はちょうど20代前半の頃を振り返っていた。ぼくはとうに40を過ぎ、当時40代だった作家は60代になっている。果たしてぼくは、これからの20年間あるいは30年間を何をしてどのように生きていくのだろうか。わからない。今のぼくには全く先の見通しを立てることができない。

 

 夕暮れどきの公園を散歩したあと、念願のいくら丼を食べに行った。今が旬だと勧められ、刺身と焼きでししゃもを食べた。ホテルに戻ってからは、植本一子の「フェルメール」を読んでいる。好きな作家が自分の生きる世界を広げてくれることを喜ばしく思う。