72|181106|札幌

 日が暮れてから防寒具を買いに街中に出る。その後、気になる本を探しに書店へと向かう。気晴らしに雑誌コーナーをふらふらしていると、「袋小路の沖縄」というタイトルが目に入る。先日の県知事選挙後の沖縄について書いているらしい。パッと手にとってレジに向かった。

 

 ホテルに戻り、お風呂のなかで一息で読んだ。約20ページの特集。読むに耐えない論調に驚いた。彼らは沖縄を植民地とでも思っているのであろうか。

 体裁を整えるためにバランスをとっている形跡が見受けられ、それがまた気味が悪い。自らが中立的で客観的だと言わんばかりだが、その実あまりに偏った物言いに呆れてしまう。しかし逆に、そこで論じる教授や作家の方々からは、現沖縄県知事および県政、沖縄の状況は呆れたものとして見えているのかもしれない。

 

 最も違和感を感じたのは、そこに「正論」しか書かれていなかったことかもしれない。高所大局から政治経済を語ることは否定しない。ただ、そこに自分と同じ人間が暮らしているということへの思いやりや、自分の観方がもしかしたら一面的で間違っているかもしれないというためらいや、スパッと言い切ることに対する葛藤のようなものを、そのテキストから感じることはできなかった。彼らは沖縄で生活しているわけでもなく、おそらく生活したこともなく、きっと生活するつもりもないのであろう。

 いずれにせよ、ぼくは彼らのテキストに血が通っているようには思えなかった。想像の欠如。書き手の思想が巧妙に仕込まれていながらも、それを感じさせないように誘導するような書きぶりにも強い嫌悪感を感じた。

 

 ぼくたちは一定の距離をもってメディアと対峙できるだけの知と意思を備えねばならない。思考停止したメディアとともに思考停止してはならない。惰性から何かが新たに生まれ立つことはない。

 共感や反感に留まらず、自らが立っている地点を信じつつ、同時にゼロベースで捉え直そうとする自由な精神は大切にしていきたい。

 

 少し話は変わる。ビジネス書や人文書をざっと目を通しながら、若きオピニオン・リーダーの物言いがどうにも狭量で乱暴に思え、どうにもこうにも気味が悪い。これまでこんなことを感じたことはなかった。ぼくが若さを喪いつつあるということなのであろうか。

 

 熊野のことがなかなか書き終わらない。