77|181111|東京

 昨日の続き。「自由とは 着衣のまま 水平であること」。

 

 衣の重力を身体で受け、それを感じながら、同時にそれに捉われず、軽やかでからっと爽やかで潔くあること。責任、成果、不安、希望、絶望、諦め、いろんなものが綯い交ぜ(ないまぜ)になって自らの内側にありながら、それはそれとして、力むことなく清々しく自然体で目の前に起こることに臨むこと。

 

 自らの「かたわれ」のような友と別れると、強いさみしさと孤独感がぼくを襲ってきた。また会えるのかもしれないが、二度と会えないのかもしれない。仮に会えたとしても、今日と同じように会うことは二度とない。今日という一日の節目で、何かが終わったのであり、そして新しい明日がまたやって来る。認識していようといまいとも日々訪れている始まりと終わり、出会いと別れ。その繰り返し。

 

 出会いの不思議。その奇跡。その喜びとさみしさとを両の眼でしかと直視し、ぼくは自らが背負った歴史を感謝によって光へと転化し、自らが愛すべき人を愛せるようにと祈りながら道を歩むしかない。そしてできることなら、葛藤や悩みを抱える自分をも受け入れて、力まずに苦しまずに、地道に淡々とその定められた道を歩めるようになりたい。