117|181221|大阪

 適性も感じておらず、得意でもなく、関心もなかったことに、なぜ長期にわたって取り組んできたのですか?

 

 そう問われて、何も考えていなかったからとか、やればできると思っていたからとか、やってみないと分からなかったからとか、さまざまな答えが浮かんでくる。

 

 ぼくは(おそらく)飽き性だと思う。熱しやすく冷めやすい面をもっている。そんなぼくが、楽しいか楽しくないか、好きか嫌いか、得意か不得意かという個人的な事情は横に置いて、なんだかんだありながらも15年続けてきたのが会社経営である。つまり、自らが立ち上げた会社の維持と発展である。

 

 決して得意とは言えないテーマに正面から向き合ってきた結果、獲得できたことがあるということは、ぼくにとっての救いである。

 

 そのうちの一つが、幾ばかりかでも世界や他者を身体的に理解できたことではないかと思う。思考やイメージ優位に世界を認識する傾向が強いぼくにとって、そうした身体的理解とは得難く価値あるものなのかもしれない。