144|190117|大阪

 かけがえのない人生を生ききるために、力になれることがあればと思っている。その人は、ぼくの常識や限界をはるかに越えたところを生きているのかもしれない。これまでの経験など、役に立たないどころか邪魔になることすらあるようにも思う。

 

 自分のことを横に置いて、ただその人の隣に佇むことなどできるのであろうか。少なくともぼくにとっては、簡単なことではない。

 

 あらゆる瞬間、あらゆる場面で、地は出ているものである。これまで相手のためにやっていると思い込んでいたが、その大半が自分のためであったように思う。あまりの恥ずかしさに、どこかに引きこもってしまいたくなる。

 

 果たしてぼくが、自らの常識や限界の枠を越えたところに立っている人を信じ、その傍らに寄り添うことなどできるのであろうか。

 

 しかし、これからぼくが生きていこうとしている方向は、おそらくそちらへと向かっている。その人が自らの力で何かしらを獲得していくことに寄り添い、励まし、信じ、ともに生きるということ。

 

 だから、何があってもだいじょうぶという自分になるためにも、ぼくは今を越えていかなければならないのだ。そうして、苦しみや葛藤はこの先も続いていくのかもしれない。

 

 誠実であることは難しい。ぼくにとっては、自らが誠実でないということをよく認識しておくことによってのみ、それを意識しているときにおいてのみ、その人に僅かばかりでも誠実であることが可能になるのかもしれない。