1年半ぶりの近況共有

 

去った69日には、

たくさんの誕生日祝いのメッセージをいただき、

ありがとうございました。

 

 

 

この春から、5歳の娘と一緒にピアノを習いはじめました。

誕生日当日はピアノ教室の日。

 

娘と徒歩で15分ほどのピアノ教室へ。

一つの曲を心をこめて弾いている娘の姿は感動的です。

それはそれはあまりにも真剣な面もちなので。

 

かたや、先生の前に出ると、

怖ず怖ずしょぼしょぼと弾いてしまうぼく。

こんな場面・瞬間にも、自分の器量はあらわれてしまう。

評価を恐れず、もっと伸びやかで自由な自分になりたいものです。

 

 

 

 

このような場での投稿は、1年半ぶりとなります。

 

今さらではありますが、この場を借りて、

自身が創業し経営してきた株式会社ルーツ

および今津の近況について共有させていただきます。

 

 

 

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株式会社ルーツは、

昨年2017213日に社外取締役のAが辞任。

続けて3月末に常勤役員のBが辞任。

同時に育休中メンバーを含めた10余名の職員全員が退職。

今津やルーツに対する「NO」という不信任表明でした。

 

213195分、eメールにて

両役員から辞任届と勧告というレターが同時に届いたその瞬間まで、

今津はこのような状況に陥っていることに気づいてもおらず、

自らの甘さ、甘えを思い知りました。

 

 

 

その後、可能な限りご迷惑がかからぬよう、

各方面へのご説明やご相談をかさね、

40坪あった広すぎる事務所をバラし、

ようやく落ち着いたのが昨年5月の終わり頃でした。

 

 

 

蛮勇か、若気の至りか、天の配剤か、

いずれにせよ心の声に導かれるがまま、沖縄に移住。

その2年後に創業しましたが、

創業後は紆余曲折、うまくいかないことの連続でした。

 

 

 

ただ、そんな艱難辛苦な日常のなかに、

まぎれもない純粋な喜びの瞬間があるのも真実で、

それは何にも代えがたいものでした。

 

事業を5年、10年と続けていくうちに、

失敗の根本要因を身体をとおして理解し、

それらを解消した自分やチームになれるように取り組み、

うまくいっているとは言えないまでも

大きな失敗は回避できるようになったと思っていました。

 

 

 

一時はリスケせざるを得なかった財務状況も好転。

自由な社風やワークスタイルはそのままに、

給与や賞与など待遇面での大幅な見直しも可能となり、

売上もようやく大台超え。

各方面からお仕事のご相談をいただくことも増え、

当社は、職員やお客様、関係者など魅力ある方々にかこまれ、

沖縄という地で新たな価値を創造しうる母胎へと育ち、

そのような場に育ててきていただいたように思います。

 

 

 

「いろいろやってるが、何をやろうとしているのか分からない」

そう言われ続けてきた当社を

「多中心組織」や「コンテクスト・カンパニー」などと

評してくださる方とのご縁などにも恵まれ、

 

多岐にわたる活動の背景にあった、

自身の時代認識や世界観・人間観・沖縄観について確信を深め、

「沖縄のイノベーション、沖縄からのイノベーション」とコンセプトを定め、

沖縄の公共財としての役割を全うしていくと宣言したばかりでした。

 

 

 

また、これまでの経験をもとにして、

国内・海外に拠点を構える創業者・経営者の次なる事業展開に参画する機会が増え、

大学時代に縁があった京都を拠点にした新たなプロジェクトを2年がかりで構想。

 

「物語で、世界をより人間的に」

という旗を立てた「kyoto x」の設立を間近にひかえ、

自身の次なる役割やステージに向けて動き始めた矢先でもありました。

 

 

 

それまでの苦悩・葛藤が報われて

あらゆることが順調に流れ出したように思え、

同僚に対する全面的な安心感や信頼感もあって、

自身の自制心がゆるみ、

アホさが表面化し(本人は至って真剣なのですが)た結果、

足元をすくわれてしまったように思います。

 

 

 

晴天の霹靂に茫然自失としているヒマはなく、

経営者としての責任を全うすべく、

 

職員・お客様など関係者や、

イニシアチブをとってきたプロジェクトのことを考え、

時にこれまで当社に関わり育ててくださった方々の顔を思い浮かべながら、

 

明確な意思、透徹した思考を保てるよう自らを鼓舞し、

現実対応に必要な意思決定と行動を重ねようとベストを尽くしました。

 

 

 

とりわけ、コトが起こってからの2週間は、

パニック状態に陥り、混乱も著しく、

常勤役員とやりとりするのみの状況にハマってしまい、

気になるメンバーの状態も定かにはつかめず、

正気でクリアな意識状態を保ち続けることは困難を極めました。

 

その後、2カ月余りは過緊張が続き、

過度なまでの人間不信にも陥りました。

 

 

 

現実対応が少し落ち着いてきたゴールデンウィークに、

自身の心奥にあるざわつきに今さらながら気づき、

一連の出来事や喪失体験によってひどく傷つき、悲しんでいること。

そして、一部の関係者に対して、

なんとも表現しようのない憤りを抱いている自分を発見しました。

 

 

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2001年に沖縄に移住し、

この地で得たご縁や出会い、学んだことのすべてを、

ルーツという場にささげ、注いできました。

ルーツは、今津にとっての20代前半から30代のすべてでした。

 

 

 

縁あって沖縄に移住し、

沖縄からたくさん学ばせていただいたんだから、

自らが死しても遺る仕事をしよう。

 

 

 

これは、創業前夜に、

沖縄の同世代の友人に(ぼくが勝手に)約束したことですが、

創業後もさまざまに関わり育ててくださった方々に対する、

自分なりの恩返しの誓いでした。

 

 

 

当初は、若い一人の移住者の空想や絵空事でしかなかった思いも、

近年では幾ばくかの現実味を帯びてきたように感じ、

当社を「沖縄の公共財」にしようと改めて誓った矢先の崩壊劇でした。

 

 

 

当社は、いわゆるビジネスモデルがなく、

そこに集う人たちとその場こそが価値の源泉であり、

それ故、一人ひとりの持ち味や可能性が開花していくような

場づくりに力を注いできました。

 

しかし今回、ここ数年をともに生きてきた

役員・職員が揃って全員去っていったことで、

どうにかこうにかルーツという場に積み重ねてきたものは、

はかなくもビッグ・バンのように飛散してしまった。

 

 

 

人生がすべてムダでダメになったように思えて、

これからどうやって生きていくのかも見えず、

悲観的で自虐的な思考パタンに陥り、

過度な人間不信と並行して、

アイデンティティ・クライシス状態にも陥りました。

 

 

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あれから1年余りが経ちました。

 

 

 

この一連の出来事は、

今津の「当たり前」を根本から見直す機会になりました。

 

大きな代償は払いましたが、その結果、

また一つ、より良く生きていくための智慧と経験を

得られたように思います。

 

 

 

ここ最近の今津ですが、

表面上はそれほど以前と変わることなく、

さまざまなチームのプロジェクト・デザインに関わり、

県内外を往復しながらの日々を過ごしています。

 

 

 

ルーツは代表者として続けています。

 

今のところ、当面は役員を増やしたり、

職員を雇用するつもりはありません。

 

事業資金として借りていたお金を返済しながら、

日々に感謝し、淡々と、粛々と、

目の前の仕事に向き合う毎日を送っています。

 

 

 

あのとき眼前にて展開された人間ドラマは、

ひどく醜悪で、もう二度と体験したくありません。

 

驚き、自己嫌悪、現実否定、落胆、絶望、

人間不信、怒り、憤り、喪失感、悲しみ、不安など、

ネガティブで醜悪な感情が濁流のように後から後から押しよせ、

 

今津はその濁流に呑みこまれないよう

現実対応を進めるだけで精一杯でした。

 

 

 

現実が少し落ち着いたあとも、負った傷は思いのほか深手で、

しばらくはどこか被害者的な感覚を捨てられずにいたのも事実です。

 

今でも、役員や職員、一部の関係者に対する

わだかまりの感情が解消しきったとは言えません。

 

でも、この世は自らの映し鏡。

 

認めたくありませんでしたが、

それらの方々から受け取った人間の醜悪さとは、

実に今津自身のなかに存在していたものでした。

 

ぼくは、自身の醜悪さを、

創業社長という権力や責任をかさにして、

あるいは自らがゼロから積み上げてきた成果や実績をかさにして、

無意識的であれその方々に振りかざしていたことがあったに違いありません。

 

そのように自分の内奥にあるものを深く見つめていけば、

やはり、他人のせいにはできない。

 

以前よりも、それらを身体を通して認識できたことで、

今津はまた一歩、自由になれた気がします。

 

 

 

ぼくに時間的・精神的余白ができたことを、

娘はとても喜んでくれているようです。

それは、今回の最大のギフトのひとつでした。

 

 

 

今年の立春を機に、新たに2つのことを始めています。

 

 

 

1つは、個人向けのセッション。

経営者の方には10年以上やってきていますが、

「越境」や「局面展開」に挑戦するタイミングにある方に

100日・6ヶ月と期間を区切って関わり始めています。

 

 

 

もう1つは、書くこと。

書くことは、今津の憧れでした。

 

その一方で、今津にとっての「書く」とは、自分の内面に深く潜って、そこにあるイメージに適切な言葉を探りながら、一つずつカタチにしていく行為で、書くことに臨むには、強い意思、高い集中力、クリアな思考が必要で、ずっと後回しにしてきました。

 

ここ半年ほどやってみて、書くとは、今津がより良く生きていくために必要な行為だとわかってきました。まずは、沖縄そしてルーツと共にあったこの半生を振り返っているところです。

 

そう遠くないタイミングで、

ブログやSNSなども始めてみようかと考えています。

 

facebookで一度公開したのですが、自分好みでなかったので、

 早速ブログを開設することにしました。

 

 

 

あれから、まだ1年、もう1年です。

 

心身の傷が完全に癒えたとはいえませんし、

リハビリは続けています。

 

先ほども書きましたが、

今でも、役員や職員、一部の関係者に対する

わだかまりの感情が解消しきったとは言えません。

 

ですが、それらも時とともに、

人生のネタとなり、笑い話となり、

心の滋養となっていくと思います。

 

今回の経験を糧に得られた深い人間理解をもとに、

人間やチームの大いなる可能性を

これからも謳っていきたいと思います。

 

 

 

この長文の最後になりますが、

 

これまで今津やルーツに関わり、

ここまで育ててくださったみなさま、

 

今回の件を直接間接に耳に入れて、

ご心配・ご配慮いただきましたみなさま、

 

今日までSNSや公式サイトにて何の発信もできず、

申し訳ありませんでした。

 

そして、今日まで、今津やルーツを育ててくださって、

ありがとうございました。

 

 

 

また、当社との関わりを一つの機縁として人生を大きく展開させ、

自分の道を一歩ずつ歩み続けているみなさまには、

心からのエールを送らせていただきます。

 

当社創業のモチーフは、吉田松陰先生の松下村塾であり、

みなさんの存在こそが当社の存在意義だった、

と今となってよくわかった気がします。

 

もうほとんど会う機会もありませんが、

また会える日を楽しみに、今津も日々を送りたいと思います。

またいつでもご連絡ください。

 

 

 

沖縄における現代版寺子屋としての役割は

今津のもちうるものを尽くし、全うさせていただきました。

 

これをもって、

15年余のルーツの第1章に幕をおろさせていただきます。

 

 

 

今津は、もう始めていますし、これからも始めていきます。

ルーツもそのうち何かを始めるかもしれません。

これからにご期待いただければ幸甚です。

 

 

 

皆さんと、また必然的なタイミングで再会し、

ご一緒できますこと、心から楽しみにしております。

 

 

 

ここに書くと決めてから、やはり、長い時間を要してしまいました。

これから書くことを日常化し、日々トレーニングしていきますので、

ご寛容にいただければと思います。

 

 

 

ご縁に感謝

2018616日 台風第1号前夜の沖縄より

今津新之助