24|180919|金沢

 なぜ彼は事実と異なることを言ったのであろうか。騙すつもりがないのはもちろん、嘘をついているという認識もないだろう。おそらく彼にとってはそのように記憶しておくことが大切であったのだろう。

 

 ではなぜ彼にとってその記憶は大切であったのだろうか。客観的には「ウソ」であることをなぜ信じなければならないだろうか。彼は何を隠そうとしているのか。あるいは何を見たくないのだろうか。

 

 ぼくは彼の無念とプライドを感じる。しかし実際のところ、彼がなぜそう言ったのかはわからない。ぼくが調べた客観的事実こそ実に主観的なものなのかもしれないし、あるいはぼくの知らない真実がそこにあるのかもしれない。少し落ち着いたら、直接聞いてみたいと思う。

 

 きっとぼくもたくさんのウソを無自覚についてきたのだろう。当人にウソをついているつもりはないのである。そのように記憶しなければ生きていくことができなかったのだ。人は誰もが懸命に生きており、だからこそウソが必要なのかもしれない。

 

 この日の金沢は雲もなく、空には澄んだ水色が広がっていた。21世紀美術館で開催されていた木梨憲武展が気になりつつ、鈴木大拙館を優先する。事前にイメージしていたように前に進んでいくことはなかなかに難しい。