ある出来事が起こることの意味についての考察|181231

 12歳での小児糖尿病。40歳での会社の崩壊。なぜこんな目に遭わなければならないのだろうか。晴天の霹靂に起こったこれらの出来事は、ぼくにそんな思いを抱かせた。

 

 病気になってしばらく、ぼくは自分の人生が取り返しがつかないほど損なわれたように感じ、絶望の淵にいた。これまで言いつけを守って良くやってきたと言うのに、あまりに酷い仕打ちじゃないか。神様なんてどこにもいるわけがない。あまりにも大きな驚きと悲しみと憤りを処理することができず、とりあえず神様と世界と家族を恨み、10代の思春期を過ごした。

 

 とは言え、時は前に進み、ぼくも一つずつ年齢を重ねていった。いつまでも誰かに保護された子どもでいるわけにもいかない。生きる意味を探索していたぼくは、ユング心理学の大家である河合隼雄氏の存在を知り、自らも含めた人間の心に関心をもつようになる。そして人間理解を深めるプロセスを通じて、自らの孤独や依存心の根深さに気づくに至る。

 

 当時、ぼくは教師やカウンセラーになりたいと思っていたが、その憧れが自らの欠損から生まれたものであると気づいてしまった。自らの欠損を他者と関わることによって埋め合わせようという無意識の企みを知ってしまった以上、ぼくは別の道に進まなければならないと思った。誰かを真に癒したいと願うのならば、まずは自らの欠損を直視し、自らの責任でそれを解消できるように挑まねばなるまい。そうして、ぼくは大学卒業後に沖縄に移住し、自ら会社を創業するに至った。会社名は「そのものが生まれ出ずるところ」を意味する「ルーツ」を命名した。

 

 心の世界は、目にが映らず、現世的利益を直接的に生み出すわけでもない。そうした世界を直視し続けるためには心の力が必要である。ぼくはいつしか、自らの内側に損なわれながらも存在しているはずの「もう一人のぼく」に向き合うことができなくなっていった。

 

 ルーツはうまくいかないことばかりで、長期にわたって鳴かず飛ばずであった。しかし失敗するネタが尽きたのか、ある時期から少しずつ上向きになっていった。人間の可能性を追い求めた結果、仕事づくりや地域づくりにも関わることになり、多中心のコンテクスト・カンパニーとして多種多様のプロジェクトを手がけた。売上は1億を超え、あらゆることが順調に流れ始めているかのように思っていた。ぼくはちょうど40歳になったところだった。30代前半で多額の借金に首が回らなくなり、無報酬で働いていた時期があったことなどを振り返りながら、やっとの思いでここまでたどり着けたことにほっとしていた。さぁこれからが本番だ。「沖縄のイノベーション、沖縄からのイノベーション」をコンセプトに事業をさらに展開し、沖縄の公共財となるべく役割を全うしていこうと意を新たにしていた。

 

 そんな2017年の春、役員と全社員が一斉に離職した。役員の辞職通知を受け取ってから1ヶ月半という短期間で、ぼく以外の全員が会社から去っていった。上昇気流に乗って順調と思っていたルーツは、あっという間に墜落。木っ端微塵となった。ぼくは愛着ある40坪のオフィスをひとりで閉め、とりあえず近所にアパートの1室を借りた。人間不信となり、自律神経もおかしくなり、前半生を賭けた会社の崩壊にアイデンティティ・クライシスに陥った。これからどうやって生きていけばいいのか、途方に暮れた。

 

 そして、あれから1年半が経った。

 

 あれほどの出来事が起こることがなければ、ぼくは二度と自らの心の真実に向きあうことができなかったのかもしれない。予想外の病気という形態をとって、12歳の頃にはすでに兆しは現れていたが、心の世界の真実を知るのは楽なことではない。これまで自分が大切にしてきたことを否定しなければならないことだってある。ひとりの人間のなかに美しいものが必ずあるように、美しいと言いがたいものもきっとあるだろう。できるならば美しいものだけに囲まれて生きたいという思いだってある。少なくともぼくの場合は、グロテスクなものと共存しているなんて思いたくもなかったのだ。しかし、存在しているものを無視し続けることは結局のところできなかったのである。

 

 ぼくの前半生は、会社の崩壊とともに終わったのかもしれない。ぼくはきっとあのときに一度死んだのだ。しかし、ぼくはこれからも生きていかねばならない。自分自身のために、愛する人のために。ぼくはようやく諦めて、これまで見ないようにしてきた「もう一人のぼく」に向き合いはじめた。光の裏に存在していた影の自分。それと向き合い、出会い直し、その存在価値を認めることは、ぼくが大学時代から望んでいたことであった。

 

 沖縄に移住し、会社を創業し、15年以上が経っていた。ぼくはなぜあれほどまで、他人の人生に、他人のチームや組織に、あるいは暮らしているわけでもない他所の地域に、自らを賭けて深く関わろうとしてきたのであろうか。その理由が「もう一人のぼく」と出会ったときに少しだけ理解できた気がした。損なわれているように見えていたものは、ぼくに損なわれていたものであった。ぼくは自らの心を映し鏡にして世界を眺め、その世界に関わってきていたのだ。「誰かのため」という巧妙なコーティングの下には「ぼく自身のため」という地金が隠れていた。しかもなんとも恥ずかしいことに、ぼくは火事場にレスキュー隊で飛び込んでいる正義のヒーロー気取りだったのである。

 

 ここに至ってようやく、ぼくは自らの存在に基礎づけられている深い孤独や依存心の存在を少しながら認めることができたのかもしれない。そうした影に見えるものたちこそが、ぼくの現実的で実際的な価値を生み出していた源であったのかもしれない。影を伴わない光は存在しない。現実に目を奪われるがあまり影の存在を無視しようとしてきたことは、あまりにも傲慢だったのかもしれない。目の前に起こる出来事を通じて、人生は不思議とぼくが本来歩むべき方向を示してくれているのかもしれない。たとえそれが表層的にはぼくが望んでいることではなく、また場合によっては深い苦しみや葛藤を生み出すものであったとしても。