161|190203|倉敷

 節分を迎えた。

 

 今日の倉敷は雨。午後から大原美術館に足を運ぶ。展示されている作品にも感動したが、洋画家の児島虎次郎と実業家の大原孫三郎によって設立に至り、息子の大原聰一郎が発展させたという成り立ちにも心打たれた。学芸員の存在が効いていた。美術の世界をもっと知りたいと初めて思った。時代時代を生きる作家たちの、過去を受けて未来に越えようとする試みが眼前の作品である。そう思えば今を生きる自らの身に置き換えて鑑賞することもできた。時代や領域が異なっていたとしても、自らと同じ人間が挑んでいるのだ。一つひとつの作品の背景に様々な心模様や人間関係、生活があったに違いない。

 

 阪急電車、阪急百貨店、宝塚歌劇団東宝などの阪急東宝グループの創業者である小林一三のことを思った。ぼくの生家は、小林一三の旧邸宅(現逸翁美術館)から徒歩1分にある。小林一三や大原孫三郎・總一郎のような偉大な実業家はどんな世界観を生きていたのであろうか。

 

 ぼくが置かれている状況は数年前を機に大きく転換した。向かう方向やその手立ても、以前とは似て非なるものになっていくだろう。先述したような偉大な実業家や思想家にはなれなくとも、この時代に生まれた日本人として自らのミッションを果たそうとの思いは以前と少しも変わりはしない。

 

 明日はいよいよ立春である。待ちに待っていた一方で、どこか恐る恐るの心境もある。

 

 あの日から2年経ち、厄も明ける。過去を書き出すことも最終段階にあり、数日内には終えられるであろう。先祖へのご挨拶も済ませた。清々しい心境で明日を迎えられることに正直ほっとしている。

160|190202|倉敷

 誰かの歓心を安易に得ようとしている自分に気づく。

 

 結局はどのような形であれ、あらゆる言動の始末は自らつけることになる。それが本心からでなかったとしても。ついやってしまったり言ってしまったりしたことであっても。

 

 ここ最近は安易な言葉を吐かないように気をつけている。言葉を軽視したり放置したりしないように意識をしている。しかし実際のところ、どこまで自己認識できているのかは心もとない。

 

 戒めていても、つい軽口を叩いてしまう自分にほとほと呆れてしまう。どこまで無責任で見栄っ張りなのだろう。

 

 昔は言いたいように言いっ放し、吐いた言葉に責任も感じず、やりたいようにやっていた。それと比べれば、随分マシになったとは言えるかもしれない。

 

 ひどく中途半端に生きてきた。他人の評価や歓心は手軽に得られると思っていたし、それを安易に求めていた。そうして周りからの評価にエネルギーの大半を投じてきた結果、自らに向き合うエネルギーはほとんど残っていなかった。

 

 とても狭い視野で「自分のために生きる」のに必死だった。だがその地点から人生の目的や方向性が見出されることはないのかもしれない。

 

 「自分のために生きる」にも深度があるのかもしれない。いずれにせよ、ぼくたちはどうしようもなく自らとともに生きていくのである。何をしたところで、すべては自らの人生に結びついている。

 

 ぼくは今、新たに歩み出そうとしている。安易な道に頼るのではなく、鮮明な意思をもち地道に歩んでいこうと思っているのだが、これがなかなか難しい。

159|190201|京都

 早く前に進みたくて仕方ない。

 

 そんな自分がいることを意識しようとしなければ、おそらくあっという間に流されていってしまうのであろう。それぐらいのパワーを感じる。

 

 「いやいや、前に進めばいいじゃないか。目の前の勢いある流れに乗ってしまえばいいじゃないか」。もう一人の自分が、たびたびぼくに語りかけてくる。

 

 ぼくは少し用心深くなりすぎたのだろうか。しかし、その流れにそこまで乗りたいと思うのは、どうしてなのだろう?!

 

 ぼくは怠惰で安易な人間である。できる限り楽をしたいと常々思っている。そして実際に楽な道を選ぶことのほうが多い。しかし本当にそうやって安易に道を選んでいいのだろうか?!

 

 「難しいこと=良いこと」だとは思っていない。しかし、安易な道は油断が生まれやすく、それ故に危険も伴う。流れたにせよ流されたにせよ、いずれにしても流れに乗った責任は取らなければならない。弾み出しに加勢があって楽に感じたとしても、詰まるところ楽な道などないのかもしれない。

 

 一方で、流れのない道を歩もうとすれば、自らの手足を動かさないといけない。さらに流れに逆行して歩むのであれば意思を味方につけなければならないだろう。なぜその方向に進むのかを自覚することなく歩み続けるのは難しい。

 

 大切なことを大切にして生きていこうと思う。しかしそれを実際的に生きるのは容易なことではない。わずかな心の隙間から、それが至難だと証明するかのような現実が差し込んでくる。そうした現実が迫りくるなかで、自らの本音を認識して、それを誠実に受けとめて生きることは生易しいことではない。

 

 自分はどうしたいのか。何をやるべきなのか。案外と見失っているものである。だから静寂に身を置き、内的対話を深め、その気配を探ろうと試みる。だが、その試みですら実践できない口実をつくってしまいがちである。

 

 持ち時間を考えている。それらをかけがえのないものとして扱っているだろうかと自問するが、心もとないこと甚だしい。自らを真に大切に扱いたいのなら、目の前にある時間、目の前にいる人との時間を真に大切にしていかねばならないとは思っているものの、なかなか容易にできることではない。

 

 ここ数日を振り返っても、今日という一日を振り返っても、まだまだまだまだ、、、である。ここに綴ったテキストは、そんな頼りないぼくに対する、もう一人のぼくの微かな抵抗なのである。

150|190123|広島

 ようやく物語が動き始めた、かもしれない。

 

 同じところをグルグル回っているんじゃないか?! 疑心暗鬼になりながらも、目の前のことに向き合い続けるしか手がなかった。いつまで経っても、どれだけやっても、出口はその気配すら見せない。タイムリミットはとうに過ぎていた。焦りも出てきていた。いつまでもこれをやり続けるわけにもいかない。とは言え、これをやりきらずに次へと進めるわけもない。

 

 出口が見えたわけではないが、仄かな光は差してきたかもしれない。どちらにせよ後には戻れない。戻りたくもない。どれだけ苦しかろうと前に進んでいくしかない。

 

 ぼくはそれなりに追い詰められているのだろう。おそらく。しかし自分がどこまで追い詰められているのかすら分からない。いずれにせよここから逃げるわけにはいかない。しかし向き合うと決めたところで、やすやす前に進んでいけるわけでもない。挫けないように踏ん張って、じわじわ匍匐前進ででも行きつくところまで行くしかない。

 

 大学を卒業してすぐに沖縄に移住した。その数年後に会社を始めた。そのおかげでお金では買えない経験をさせてきてもらった。

 

 今のぼくは、これまで最大にインパクトのある時間を過ごしているのかもしれない。少なくとも自らを以前より理解するようになった。自分勝手、傲慢、醜悪で、愚かさを伴った自分。自分のことをわずかながらでもよく認識できるようになったのは革新的な一歩であったと思う。そうした認識の前提に立って、自らがどう生きるかをぼくは選択できるようになったのだ。

 

 広島は今日まで。明日家族のいる沖縄に帰る。

 

 なんだかんだ言いながらも、ぼくとともに生きることを選んでくれている彼女たち。その存在が自らを確かに支えてくれていると、ようやくぼくは知った。ぼくはどこまでも阿呆だが、どこまでも果報者である。

149|190122|広島

 このブログに定期的に書くようになってから、約5ヶ月が経った。

 

 ここには思いのまま書きつけてきた。ぼくは自意識過剰なので、誰かを意識するとどうしても書けなかった。そういう事情もあって、まずは自分のためだけに書くことにすると決めた。ここに書きつけていることに、誰にとっての何の価値もなかったとしても仕方がない。しかし、自らにとっては書く行為そのものに価値があるわけであり、さらにできるならば、自らにとっては価値があると思えることを書きつけようと思って、どうにかこうにか続けてきたのである。

 

 とは言え、本音では誰かに読んでもらいたい気持ちもあった。だから、ある時期から身近で縁があった人たちにはそれとなく案内するようになった。とは言え、趣旨はあくまで自分のため。読んでくれる人がいるのはとても幸運なことではあるが、それは意識すまいと開きなおるようにしてきた。

 

 しかし、ここ最近、この場で書くのは控えたほうがいいと思えるようなことが出てきた。逆に言えば、これまではそんなことは一切意識にすらのぼってこなかった。

 

 そう考えると、これまでのぼくはどこまでも自分の世界に引きこもっていたということなのかもしれない。そして今ようやく、誰かとともに生きようとし始めているということなのかもしれない。確かにそうした兆しは感じなくもない。

 

 当り障りのないことをここで書いていくつもりはない。それは少なくともぼくを充足してくれることはないだろう。しかし、ここで書き続けていくためにも自らを刷新していく必要が迫ってきていることを感じる。

 

 どこまでも「自分のために」しか生きることができないぼくは、どのように「誰かのために」を表現していくことができるのであろうか。

 

 この探索もしばらく続いていくことになりそうである。

148|190121|広島

 その後も継続して書いているのだが、最終章になるはずの章がなかなか終わらない。このままだと広島で書き出しきることは難しいかもしれないと思い始めている。さぼっているわけではないつもりだが、一日で書ける分量にも限りがある。やるべきことをやっているうちに、一日はあっという間に過ぎ去っていく。

 

 広島にもだいぶん馴染んできた。なじみの店も幾つかできた。とりわけ近所のうどん屋はお気に入りで、週34回のペースで通っている。今回の滞在中には駅伝を観戦したり、映画に行ったり、食事以外もそこそこ楽しんでいる。

 

 早く進みたいと焦る気持ちがないわけではない。しかし今ぐっと踏ん張ることは自分が決めた道。その道の果てまで歩ききれば、次の道筋がきっと見えてくるに違いない。そこまではぐっと辛抱、ぐっと我慢だ。

 そうやって言い聞かせながら、これまでの自分にひたすら向き合っている。それがぼくにとって一つのケジメであり、責務であり、やるべきことなのである。

147|190120|広島

 「純粋であること」にあこがれる気持ちってありますか?

 

 どうやらぼくはそれに強くあこがれているようです。何事も限度というものがあります。過少は良くないかもしれませんが、過大は過少より随分とタチが悪いことが多いように思われます。ほくはその過大なタチのようです。

 

 純粋であることに、どうしてそこまで強くあこがれてしまうのでしょうか?

 

 あくまで推測の域は出ませんが、「純粋=良いこと」と思っているからではないかと思ったのです。おそらく「純粋=善」と思いこんでいるに違いありません。

 

 では、そうした思いが強すぎると、どんな結果が生まれることになるのでしょうか?

 

 ぼくの場合で言えば、自分が持ち合わせている「不純」を否定することになります。それを否定している自らを認識できていたり、何かしらの葛藤があれば、まだマシな方かもしれません。不純であることをあまりに受け入れられない場合には、それがあたかも自らのどこにも存在していないかのように思いこんでしまうようです。そしてその前提で立ち振る舞ってしまうことになります。もちろんこれはあくまで、ぼくのケースです。しかし似たような経験をされたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 不純なるものが自らのなかには存在していないと思いこんでしまっているわけです。つまり自らが純粋そのものであるかのように勘違いしていきます。その結果、実のところ自らの不純がゆえに目の前に起こっている現象を、いささかの悪気もなく他人の誰かのせいにしてしまったりすることを厭わなくなります。

 

 ぼくは、純粋さにあこがれをもつことが悪いことだとは思っていません。ぼくはそれにあこがれる自分自身を否定するつもりはありません。むしろ今の心境としては、その逆と言ってもいいのかも知れません。

 

 ぼくは自らが実際に「不純」であることを直視し、それを認め、それを赦してやってもいいんじゃないかと思い始めています。そもそも「実際のところは不純であるにもかかわらず、純粋であると思うことができること」が、ぼくの「不純さ」の何よりの証左であることを認めざるを得ません。

 

 それを認識できたときに初めて、純粋さにあこがれることに、純粋に向かって生きようとすることに、価値が生まれたのかもしれません。ぼくはどこまでも不純であるからこそ、純粋であろうと試みることができるのかもしれないと思えたのです。この一連の気づきは、ぼくの目の前に広がっている世界が幾分か転回したということを意味しているのかもしれません。