100|181204|広島

 目覚めると8時だった。身体が少し軽くなっていることを確認し安堵する。朝食を摂って仕事にとりかかることにする。

 

 騙し騙しやってきたが、右手が相当悪化しているかもしれない。左手と見比べる明らかに腫れあがっている。書き始めはひどく痛いのだが、ひとたび流れに乗ってしまえば、痛みは緩和する。書く用に足りればいいということで、その状態にすっかり甘えている。まだ病院には行っていない。再来週に行きつけの鍼の先生に診てもらうつもりである。

 

 と言いつつも、あまりに痛い。日常生活にも支障が出ている。毎日お風呂のなかで自己流の温熱治療をしているが、それだけではこの先もたないかもしれない。とりあえず近所で湿布を買って、今できる手当はやっておくことにした。

 

 体調も本調子にはほど遠いが、じりじりとやるべきことに取り組もうと思う。いつも書いている通り、それ以外にとりたててやるべきことなどないのだ。あとは心を整え、時間通りに手足を動かすだけである。

 

 気になっていた天ぷら屋さんに行ったら、当たりだった。

99|181203|広島

 今日から広島に来ている。沖縄は10日ほどだったが、娘の行事や友人の結婚披露宴、妻の誕生日祝いなど、家族との時間を優先していると毎日それなりに忙しかった。

 今朝から頭がぼぉとしている。妻と娘が引いていた風邪が今頃うつったのかもしれない。今はもう夜なのだが、やはり熱っぽい気がする。葛根湯と栄養剤を飲んで早めに休むことにしよう。

 右手にも腫れが出てきているが、今止まるわけにもいかない。10日ほどの広島滞在で山場を越えたいと思っている。どうにか右手がもってくれるといいのだが。

96|181130|沖縄

 11月が終わった。気になっていたことは一通り済ませた。すっきりした清々しい気持ちで師走を迎えられることに安堵している。 

 

 取り組んできた書きものは、ついに2011年に入った。あと数十日で2017年春までのことを書き出すつもりでいる。ギリギリのペースで進んでいるので油断はできない。沖縄に戻っても、いい緊張感が続いている。

 

 1ヶ月ぶりの家族との時間に随分癒されている。我がままなぼくに寛大に付き合ってくれている妻と娘に改めて感謝の思いが湧いてくる。この仕事に集中できるのは言うまでもなく彼女たちのおかげである。

 

 これまでアップダウンの激しい人生を送ってきたし、外からの刺激やそれに反応して湧いてくる喜怒哀楽に対応するのに追われる毎日を生きてきたように思う。これからは、大切なものを大切にする意思をもった、ある意味では自分のエゴから少し距離を置いたような、そんな生き方ができないものかと思っている。

 

 そろそろ何かに取り組んでいきたいと思い始めている。しかし、先に先に、前に前に、早く早くというせっかちな自分の習性に自覚的でなければ、健やかな実りはもたらされないであろう。

 

 ハヤる自分自身にブレーキををかけることで生まれた空白によって、ぼくは過去を追体験し、そこでの体験を完了させ、後ろに過ぎ去ったものとして供養しようと試みている。

 

 焦る自分がいないわけではない。まずは動き出してみてから考えてみればいいと思わなくもない。

 

 でも実はそんなことよりも、ぼくはこれまでの自分にいい加減ケリをつけて、これまで表に陣取っていた自分によって抹殺してきた「もう一人の自分」が姿を現すところを見てみたいのである。もうしばらく時間はかかるのかもしれない。そうだとしても、そんな隠れていた自分を慈しみ、育て、これまでの自分と統合できたらと思うと、その可能性をもう少し信じてみたくなるのである。

 

 それは今のところ可能性でしかない。実際に何が出てくるのか、それがどんなものなのか、自分をも含めた誰かを幸せにするものなのか、価値があるものなのか、全くもって分からない。もしかしたら何も出てこないのかもしれない。

 

 だからと言って、その可能性を簡単に手放すこともできない。ぼくはそんな融通が効くような器用な人間ではない。心の目に映っている道なき道を信じて、地味に地道に、淡々と歩んでいくことしかできない。

 

 2018年の締めくくりとなる新しい月が始まる。一日一日を大切に生ききって、清々しい気持ちで新年を迎えたい。

95|181129|沖縄

 日々のことを書き記すのは何日ぶりだろうか。

 

 沖縄に戻り、はや1週間が過ぎた。書こうとしなければ書くという行為は生まれず、その成果が生まれることもない。当たり前のことである。小さな子どもだって理解できる。

 そうしているうちに、あっという間に時間は後ろに過ぎ去っていく。そのまま放っておけば、場合によっては大きな後悔につながることだってあるかもしれない。

 やると決めなければ、やれない理由はいくらでも出てくるし、やるのが困難な状況が物理的に次々と成立していく。私と世界の関係とは不思議なものである。

 

 放っておけば惰性に流されていく自らの頼りなさを、ぼくは経験から学んできた。だから意思の在り処を思いおこすための機会とシステムを予防的に講じておくのは、ぼくにとっての生命線である。ぼくはそんなに強い人間ではない。

 

 今日はかつて大変お世話になった方々に偶然お会いすることが続いた。次に進むための準備が少しずつ整ってきているのかもしれない。

 焦るなよ。もう一人の自分がぼくに警告を鳴らした。そうだ、まだ今はそのタイミングではなかった。勇み足の悪癖でこれまでどれだけ痛い目に合ってきたというのだ。そして、ぼくは今ここに踏みとどまることを改めて意識する。自らの傲慢さにはくれぐれも用心しなければならない。

 

 今やるべきことに真摯に向き合っていれば、しかるべきタイミングに、世界はぼくに再び語りかけてくるであろう。仮にそうでなかったとしても、次はこちらから世界に語りかけていけばいい。

 

87|181121|函館

 沖縄を出て36日目。札幌、大沼公園、札幌、東京、湯の川温泉、函館とめぐり、明日いよいよ沖縄に帰る。日中はホテルでノートを介して自分に向き合い、紅葉や温泉、海産物などを楽しみ、贅沢な時間を過ごしたと思う。

 

 旅の当初には大学卒業前の2001年を書いていたのだが、今は2008年頃が中心となっている。約1ヶ月で7年分の年齢を重ねた感じもするし、自分ごとながら20代前半と比べると随分と分別がついてきたように感じる。しかし自己中心的なのは相変わらずだ。これから実年齢まで筆が進んだとしても、それは変わっていないかもしれない。

 

 これまでのペースと見取図を参考に、約束の日までのスケジューリングを具体的に計算してみた。どうやらギリギリ間に合うかどうかのペースのようである。実際のところはやってみないと分からないからこそ、いい意味で緊張感が出てきている。今できることに集中し、期日内にやり遂げようと意を新たにした。

 

 心の底に沈殿しているものを表にかき出し、陽のもとに晒すことができれば、きっと何かしらが明らかになるであろう。その直感を信じてここまで進んできたし、今さら元いた場所に引き返す勇気も根気もない。良くも悪くも、引き返せないところまではたどり着いたのであろう。

 

 このことが吉と出るか凶と出るか、よく分からない。しかし現時点でもぼくの身体感覚には若干の変化の兆しが感じられるし、似たような出来事に対しても以前と異なる反応をするようになっている自分を発見することもある。様々な物事に固執していたかつての自分と比べると、随分と生きやすくなったように思うし、そんな自分をそれなりに気に入っている。ぼくは今の自分を好きになるために、過去の自分とひたすらに向き合っているのかもしれない。

 

 今日は函館最後の日。夕方から家族への函館土産を買い、老舗の洋食屋で昔懐かしの洋定食とカレーライスを食べ、函館山に登った。函館山は前回と比べて人が少なかった。カイロ3個を手にして寒さに耐え、100万ドルの夜景を楽しんだ。今回は家族に見せるための映像を撮ることもできた。

 

 函館市が行ってみたい市町村ランキングでナンバーワンになったらしい。それほど函館に人気があるとは知らずに来たのだが、ここを選んで良かったと思う。居心地が良く、仕事もはかどった。夜景も洋風な町並みも海鮮ももちろん格別だったが、朝にホテルの窓から見える空がとても印象に残っている。

 

 それは沖縄の空とは違った美しさがあった。沖縄に降り立つと、ぼくは真っ先に空を見上げる。高く青く広い空がそこにあることを確認し、ぼくは自分が沖縄に戻ってきたことを実感する。そして沖縄そばが無性に食べたくなる。

 

 函館の空はそれほど高くはないかもしれない。遠くに海が見え、海と空との境目があいまいな澄んだ薄水色をしている。澄みきった清らかな空気がここには流れている。いつの日か愛する家族を連れて、函館そして北海道に戻ってきたいと思う。

 

 何はともあれ、3637日の長旅はこれで終わる。今はとにかく、逃げずに歩き続けることだけはできたことにホッとしている。

 

 そしてぼくはやっと家族のもとへと帰れるのだ。帰ることができる場所があることは、何より幸せなことなのかもしれない。

86|181120|函館

 午後は市場に立ち寄り、沖縄に持ち帰る手土産を注文した。小ぶりの毛ガニ、ウニ、イカ、雄シシャモ、ホッケを少しずつ頼んだ。カニは函館で当日に処理してもらったものを持ち帰り、そのまま夕食にする予定。妻や娘が喜んでくれるといいのだが。

 

 自分自身のこれまでを書いているわけだが、記憶が身体のどこかしらから蘇ってきたり、思いもよらぬ方向に話が展開していったりと、とにかく予測がつかない。今は細部にこだわらず、流れるに任せて手を動かすことにしている。何も考えていないわけではないのだが、手の動くに任せているような感覚である。いったんゴールまでたどり着けば、そこからノートに手書きしたものをパソコンに移し替えていくつもりである。自分がどんなことを書いているのか、読み返すのが楽しみではある。同じことをくどくど書いているように感じているが、実際はどうなのだろうか。

 

 朝夕のくつろいだ時間には読書をしている。なかなか読み進まず、函館に来てからは13050ページぐらい。良い気分転換にもなる。2,000ページ近かった歴史小説大作は中断して、ここ最近は河合隼雄先生の書籍を読み返している。

 

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 難しいのは、「自己実現」などという言葉を聴いて治療者がそれに巻き込まれてしまうことです。嬉しくなって、この女性の「自己実現」のために私も頑張ろうなんて思い始め、「じょうずに駆け落ちしなさい」なんて言い出すと絶対おかしくなります。実際にそれに近い治療者もいますが、一人の人間の中に巻き込まれてしまうと、ものが見られなくなってしまいます。そうかといって、完全に離れたところから見て「なんや不倫のおばさんが」というようでは、これまた、ぜんぜんだめですね。この中間あたりにいて、本当に道が見つけられるだろうか、その道を見つけるのに何ヶ月ぐらいかかるだろうか、自分がカウンセリングすることによって意味のある結果が得られるであろうかと、そこまで考えるのが「見立て」なんです。

 

 まあ一年はかかるだろうと予測する。一年のうちに夫のほうがしびれを切らして裁判所に訴えるかもわからない。運転手さんが爆発するかもわからない。あるいは、この女性が息切れして自殺してしまうかもしれない。そんないろいろな可能性を全部見直しながら、「よし私がこの人を引き受けることによって、自分がカウンセリングすることによって、意味ある結果を出せるんじゃないだろうか」というところまでを覚悟して、はじめて「では、毎週おいでください」というのが「見立て」なんです。そんなことを何も考えないで、”受け入れておけば一人で勝手に自己実現するでしょう”というのは、話が甘すぎると思いませんか。本当にカウンセリングをやっていこうとするなら、そういう「見立て」ができないといけないということです。

 

** カウンセリングにおける「見立て」について|『河合隼雄のカウンセリング講座』から引用

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 河合先生の言っていることのどこまでを理解できているのかはわからない。けれど、これまでを振り返っていて、自分はまさに「甘すぎた」のだと思っていたところであった。

 

 結局のところ、ぼくは自分が都合良いように仕事を捉えていたのだと思う。人間に限らず、チームや地域などを「見立て」て関わってきたつもりであったが、「見立て」の前提となるぼくという存在自体が自律しておらず、相手と一緒にぐらぐら揺らいでしまっていることには気づいてすらいなかった。

85|181119|函館

 一昨日に続いて、夕方から「根ぼっけ」に行った。義理の兄が漁で獲ってきたホッケが二束三文で売られていると知って、一念発起で店を出し、根ぼっけの価値を地道につくってきたのだと言う。エネルギーに満ちていて、とても72歳には見えない。毎朝4時にはセリ場に向かい、お客に食べさせたい海産物を仕入れ、職人とともに夜12時過ぎまで店に立つ。しかしさすがにくたびれてきたと言う。それはそうだろう、ぼくなんかは今の年齢でもできそうにない。パイオニアとして新たな需要をつくり続けてきたその店を、思想や技術も含めて次世代にバトンタッチしたいと言う。しかし昔気質の職人としての流儀やプライドは、新世代とのあいだにギャップをつくり、それに苦慮しているようだった。ぼくはいち観光者であり一見客でしかないのであるが、何とかできないものかと思う。

 

 オーナーは漁師の血筋だった。父方が土佐の漁師で、その前は五島列島と言った。母方は山形のお坊さんで浄土宗系列らしい。「休みもないし、墓参りにも行ってないんだよな。行きたくないわけじゃないんだけど」とボソッと言った。ところで沖縄のお墓って大きいんだってね、と続けた。自分は大阪出身の沖縄人なんです、と伝え、確かに沖縄のお墓は大きいです、そしてご先祖様をとても大切にしているんです、と返した。気になるのであれば尚更、墓参りはした方がいい。

 

 坊主頭のオヤジの目はやさしかった。ぼくは沖縄の海人のオヤジを思い出した。どうもこのタイプに弱いんだよな、と自嘲気味に思った。何かしら力になれたらと思うが、もちろん通りすがりの者ができることなど何もなかった。ホテルまでの帰り道、北海道に住む知人たちの顔を思い浮かべたりしたが、自らのこれまでの失敗や失態を思い出し、そのアイデアはその場で捨てた。

 

 ぼくたちに与えられた時間は限られている。それらの条件のなかで、それぞれ自分が大切にしたいものを何とか大切に守りながら、生きていくしかないのかもしれない。そしてぼくにもその「大切な何か」が少しずつでも見えてきていることを願った。

 

 少しぐらいは孤独やさみしさに耐えられるようになったのであろうか。それと共に生きることができるようになったのであろうか。

 

 ぼくは店のオヤジの顔を思い浮かべた。またいつの日か、この店に来ることができたらと思った。