2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

161|190203|倉敷

節分を迎えた。 今日の倉敷は雨。午後から大原美術館に足を運ぶ。展示されている作品にも感動したが、洋画家の児島虎次郎と実業家の大原孫三郎によって設立に至り、息子の大原聰一郎が発展させたという成り立ちにも心打たれた。学芸員の存在が効いていた。美…

160|190202|倉敷

誰かの歓心を安易に得ようとしている自分に気づく。 結局はどのような形であれ、あらゆる言動の始末は自らつけることになる。それが本心からでなかったとしても。ついやってしまったり言ってしまったりしたことであっても。 ここ最近は安易な言葉を吐かない…

159|190201|京都

早く前に進みたくて仕方ない。 そんな自分がいることを意識しようとしなければ、おそらくあっという間に流されていってしまうのであろう。それぐらいのパワーを感じる。 「いやいや、前に進めばいいじゃないか。目の前の勢いある流れに乗ってしまえばいいじ…

150|190123|広島

ようやく物語が動き始めた、かもしれない。 同じところをグルグル回っているんじゃないか?! 疑心暗鬼になりながらも、目の前のことに向き合い続けるしか手がなかった。いつまで経っても、どれだけやっても、出口はその気配すら見せない。タイムリミットは…

149|190122|広島

このブログに定期的に書くようになってから、約5ヶ月が経った。 ここには思いのまま書きつけてきた。ぼくは自意識過剰なので、誰かを意識するとどうしても書けなかった。そういう事情もあって、まずは自分のためだけに書くことにすると決めた。ここに書きつ…

148|190121|広島

その後も継続して書いているのだが、最終章になるはずの章がなかなか終わらない。このままだと広島で書き出しきることは難しいかもしれないと思い始めている。さぼっているわけではないつもりだが、一日で書ける分量にも限りがある。やるべきことをやってい…

147|190120|広島

「純粋であること」にあこがれる気持ちってありますか? どうやらぼくはそれに強くあこがれているようです。何事も限度というものがあります。過少は良くないかもしれませんが、過大は過少より随分とタチが悪いことが多いように思われます。ほくはその過大な…

146|190119|広島

ぼくたちの持ち時間は限られている。時間とは「いのち」そのものである。そう考えれば、時間ほどかけがえのないものはないのかもしれない。 時間の有限性を認識することと、その価値が高まり深まることとはつながっている。目の前に流れている時間への集中度…

145|190118|広島

自らの傲慢をようやく自覚するに至る。 とは言え、傲慢はどこまでも傲慢なもので、自覚したと言っても解消するわけではないようである。どこまでも自覚しようと試み続けねばならないのかもしれず、扱いがとても難しい。 傲慢をエゴイスティックと置き換えて…