117|181221|大阪
適性も感じておらず、得意でもなく、関心もなかったことに、なぜ長期にわたって取り組んできたのですか?
そう問われて、何も考えていなかったからとか、やればできると思っていたからとか、やってみないと分からなかったからとか、さまざまな答えが浮かんでくる。
ぼくは(おそらく)飽き性だと思う。熱しやすく冷めやすい面をもっている。そんなぼくが、楽しいか楽しくないか、好きか嫌いか、得意か不得意かという個人的な事情は横に置いて、なんだかんだありながらも15年続けてきたのが会社経営である。つまり、自らが立ち上げた会社の維持と発展である。
決して得意とは言えないテーマに正面から向き合ってきた結果、獲得できたことがあるということは、ぼくにとっての救いである。
そのうちの一つが、幾ばかりかでも世界や他者を身体的に理解できたことではないかと思う。思考やイメージ優位に世界を認識する傾向が強いぼくにとって、そうした身体的理解とは得難く価値あるものなのかもしれない。
116|181220|大阪
新しいプロジェクトのキックオフ・ミーティング。夏から地道に仕込んできて、いよいよ具現化に向けた動きが始まる。総勢8名のチームの顔ぶれだが、これが初めての関わりになる人もいる。可能な限りで下準備はやってきた。あとは実際に動き始めてみないと、何が起こり、何が生まれてくるかは想像もつかない。今日の場をつくるところまでがぼくの最大の持ち場であったのかもしれない。
チーム・メンバーは個性的で実力ある方々が揃っている。それぞれが持ち合わせているものを、可能性も含めて表現し、一つずつ積み重ねていくことによって、行き着くところまで到達できるという感触を得た。そこにはチームの気配があったし、これからの関わりを通じて、ぼくたちはチームになっていくのだろう。
人はそれぞれ個性的で、誰一人として同じ人はいない。そんな当たり前を大切にしながらプロジェクトを組み立てている。違いをもった人が集まり、その違いから生まれるかもしれない価値創造の可能性にぼくは惹かれる。それは、その場に誰一人として欠けていたとしても生まれ得ないものである。
そして、その場に新しい何かが生まれたとすれば、ぼくたちがそのプロセスのなかで、持てるものを差し出し、時に交換し、関わりあって、それぞれが学び変容したということでもあるのかもしれない。ぼくは、仕事を通じて他者と関わり合えることをありがたく思う。他者と深く関わり、学び、新たな自分と出会っていくために、ぼくたちは仕事という形態をまとった「媒介」を必要としているのかもしれない。
ぼくにとって、そしておそらくはチーム・メンバー全員にとっても、新しい挑戦が始まった。それを実際的に始められたこと、そして、その場に始まった気配を感じられたことに、ぼくは深い幸福と安堵を感じている。
115|181219|大阪
何かがぼくを呑みこもうとしている。その渦に反発し逃れようとすれば、単に孤立するだけになるであろう。呑みこまれず、反発もせず、その場に水平に立ち続けるために、心の力が必要である。不安や恐れ、さみしさや孤独の感情に乗っとられず、踏みとどまり、持ちこたえる力、そこに居続ける力である。不安などのネガティブな感情に激しく侵襲されるときがある。そのときこそ、ぼくはぼく自身であることに意識的にならなければならない。
他者とともに生きるということ。ぼくはそれが一体どういう状態であるのかを、体感としてまだ理解していないのだと思う。心の力を高めることは、そのとば口にぼくを立たせてくれるのかもしれない。
114|181218|大阪
右手が痛むなか、よく健闘したとは思う。これまでの痛みと質感が変わってきている。痺れるように痛む。果たして明日は書けるのだろうか。
とにかくノートに向き合い、肚をくくって事に臨んではいる。数日後に鍼灸の診療予定がある。まずはそこまでもてばいい。
とにかく痛い。パソコンの入力、服の着脱など、日常生活のあらゆる場面で支障が出ている。果たしてこの症状は快復していくものなのだろうか?
とにかく今日も新たに1章を書き終えた。残るところ、あと3章の予定である。身体の奥のほうで何かしらが動いている感じがある。次への移行はすでに始まっているのかもしれない。
107|181211|広島
雨が降っている。話はなかなか展開しない。誰かに言われたように、自らの責任を他人に押し付けたくないが故に、ぼくは書いているのかもしれない。
夕食は天麩羅屋。滞在中3度目。近所に美味しくてリーズナブルなお店があるのは助かる。
広島で集中できるのも残り1日。明後日には沖縄に帰る。毎日があっという間に過ぎていく。油断していると本当に危ないかもしれない。