78|181112|函館

 贅沢な旅を続けている。昼に羽田から函館に移動し、今日は湯の川温泉に来ている。夕食はビュッフェで、蟹や海老や烏賊や鮭やイクラなど新鮮な魚介類をたらふく食べた。こんなに腹いっぱい食べたのは久しぶりかもしれない。

 

 しかし、つまらない。こんなに楽しくて幸せなところには一人で来るもんじゃない。一人でいることにもいい加減飽きてきた。嫌気すらさしてきた。

 

 周りはカップルやら家族やらグループやら。楽しそうに幸せそうにしている。こんなにたくさん人がいるというのに、一人で来ている人なんて他にいるのだろうか。今のところは見当たらない。

 

 これまで、一人でいることはさみしくなくはないけれど、まぁそれなりに平気だと思って生きてきた。これほど一人でいるのがつらいと思ったのは、初めてかもしれない。

 

 沖縄の家族のことを思った。ぼくは何をどうすればいいのかと考えた。まだ混線している。内側に少し大きめの空白がある。そしてその空白はさみしさの質感ととても似通っているような気がする。

 

 ぼくはここにあと2泊する予定だ。

77|181111|東京

 昨日の続き。「自由とは 着衣のまま 水平であること」。

 

 衣の重力を身体で受け、それを感じながら、同時にそれに捉われず、軽やかでからっと爽やかで潔くあること。責任、成果、不安、希望、絶望、諦め、いろんなものが綯い交ぜ(ないまぜ)になって自らの内側にありながら、それはそれとして、力むことなく清々しく自然体で目の前に起こることに臨むこと。

 

 自らの「かたわれ」のような友と別れると、強いさみしさと孤独感がぼくを襲ってきた。また会えるのかもしれないが、二度と会えないのかもしれない。仮に会えたとしても、今日と同じように会うことは二度とない。今日という一日の節目で、何かが終わったのであり、そして新しい明日がまたやって来る。認識していようといまいとも日々訪れている始まりと終わり、出会いと別れ。その繰り返し。

 

 出会いの不思議。その奇跡。その喜びとさみしさとを両の眼でしかと直視し、ぼくは自らが背負った歴史を感謝によって光へと転化し、自らが愛すべき人を愛せるようにと祈りながら道を歩むしかない。そしてできることなら、葛藤や悩みを抱える自分をも受け入れて、力まずに苦しまずに、地道に淡々とその定められた道を歩めるようになりたい。

76|181110|東京

 

 地道(じみち)を辞書で調べてみる。

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 地道【じみち】

  手堅く着実に物事をすること。

  地味でまじめなこと。またそのさま。

  冒険や人目を引くような行動に出ず、

  着実に進む態度。

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 地道であることと自由であること。地道でありながら自由であること。あるいは自由でありながら地道であること。地道と自由は対立概念ではなく共存可能な概念ではあるのだが、これまでのぼくはそれらが併立し共存するとはどこか思えていなかった節がある。

 

 自由とは

 着衣のまま

 水平であること

 

 卒業前に高校時代の恩師が黒板に書いたその詩が、その文字が、20年以上経った今も忘れられない。果たして自由とは。

75|181109|東京

 東京2日目。少しびっくりしたことがあったので、夜遅い時間から昔のメンバーに電話を入れた。わだかまりは少し解消していた。

 

 私は私、相手は相手、世界は世界。私が孤立しているということでなく、私と全体とが同じ時点に存在している。今何となく捉えつつあるそんな自分にいかに成っていくか。生きることが関わることとなり、おそらくは以前とは違う意味合いで、生きることが働くこととなった自分を想像している。

 

 以前と比べ、誰かに共感する度合いは減ったかもしれないが、それでいい。適度に距離をとるようにしている。感情がグラつかず、比較的一貫性のある自分で居続られている気がする。

 

 1年後どんな仕事をしているのだろうかと、何となく楽しみになってきた。とは言え、先のことはまだ一向に見えてこないのだが。

74|181108|東京

 東京に来た。午後からデザイン事務所でみっちり打合せ。最近あまり人と会っていないからか、それとも朝早くからの移動のせいなのか、最後はへとへとになってしまった。とにかく山場は越えた。ほっと一安心して、気が緩んだのかもしれない。

 デザイナーの彼が奮発してくれたお店でご馳走になる。お寺のお仕事をしていると聞き、ついテンションが上がってしまった。べらべら余計な話をしてしまったかもしれないと反省。

 なんとなく自分の感覚が変わったような気がする。しばらく観察を続けてみることにする。

73|181107|札幌

 明日から東京に向かう。北海道には約3週間いたことになる。

 

 仕事はどうだろう。思った以上に進んだ気もしなくはないが、毎日思ったようには進まないものでもある。すいすいと気持ちよく進んだことはほとんどなく、義理立て程度にどうにかこうにか前進する日が大半だったような気がする。いやいや取り組んでいるというわけではないのだが、コトに臨むには毎度それなりの構えが必要なことも事実である。

 

 今日は一つの峠を越えた。当初想定していた何倍も時間を要した。ハードだったが、時間をかけなければ越えられない箇所だったかもしれない。

 

 予定から大幅な遅れが出ていることもあり、これからのロードマップを再度描きなおすと、把握できるものだけで大小19の峠があった。

 果たしてぼくは年内にこの旅を終えることができるのだろうか。もともとクリスマス前には終える予定で組んでいたが、その雲行は随分怪しい。この旅を終えるまでは、いずれにせよ落ち着きそうにない。

72|181106|札幌

 日が暮れてから防寒具を買いに街中に出る。その後、気になる本を探しに書店へと向かう。気晴らしに雑誌コーナーをふらふらしていると、「袋小路の沖縄」というタイトルが目に入る。先日の県知事選挙後の沖縄について書いているらしい。パッと手にとってレジに向かった。

 

 ホテルに戻り、お風呂のなかで一息で読んだ。約20ページの特集。読むに耐えない論調に驚いた。彼らは沖縄を植民地とでも思っているのであろうか。

 体裁を整えるためにバランスをとっている形跡が見受けられ、それがまた気味が悪い。自らが中立的で客観的だと言わんばかりだが、その実あまりに偏った物言いに呆れてしまう。しかし逆に、そこで論じる教授や作家の方々からは、現沖縄県知事および県政、沖縄の状況は呆れたものとして見えているのかもしれない。

 

 最も違和感を感じたのは、そこに「正論」しか書かれていなかったことかもしれない。高所大局から政治経済を語ることは否定しない。ただ、そこに自分と同じ人間が暮らしているということへの思いやりや、自分の観方がもしかしたら一面的で間違っているかもしれないというためらいや、スパッと言い切ることに対する葛藤のようなものを、そのテキストから感じることはできなかった。彼らは沖縄で生活しているわけでもなく、おそらく生活したこともなく、きっと生活するつもりもないのであろう。

 いずれにせよ、ぼくは彼らのテキストに血が通っているようには思えなかった。想像の欠如。書き手の思想が巧妙に仕込まれていながらも、それを感じさせないように誘導するような書きぶりにも強い嫌悪感を感じた。

 

 ぼくたちは一定の距離をもってメディアと対峙できるだけの知と意思を備えねばならない。思考停止したメディアとともに思考停止してはならない。惰性から何かが新たに生まれ立つことはない。

 共感や反感に留まらず、自らが立っている地点を信じつつ、同時にゼロベースで捉え直そうとする自由な精神は大切にしていきたい。

 

 少し話は変わる。ビジネス書や人文書をざっと目を通しながら、若きオピニオン・リーダーの物言いがどうにも狭量で乱暴に思え、どうにもこうにも気味が悪い。これまでこんなことを感じたことはなかった。ぼくが若さを喪いつつあるということなのであろうか。

 

 熊野のことがなかなか書き終わらない。