64|181029|大沼公園

 毎日やると決めていることがある。それらはそれほど多種あるわけでもなく、またそのいずれもが難しいものではない。そのことを「やる」と決めて取りかかれば必ず終えられるものだし、そう多くの時間を要するものでもない。要は気持ちさえあればやれるものばかりである。

 

 しかしそれほどに簡単なことであったとしても、コトは簡単に進まない。様々な理由でやる気がどうにも起こらない事態が生ずる。ぼくは保身に走り、大抵の場合においてはその行為の意味や価値を論じ、やらないで済むもっともらしい口実をでっち上げる。その行為をやる理由は極めてシンプルで、「自分が決めたから」である。そこにはそれ以外の社会性も経済性も教育性も一切が存在していない。いくら意味や価値を問おうが、怠惰な自分に「やっぱりやってみようか」と転向を促すほどの説得力はそもそも生まれようがない。しかし時として翌日あるいは後日自らに襲いかかってくる自己嫌悪や良心の呵責(のようなもの)を恐れて、嫌々ながら重い腰をあげることはもちろんぼくにだってある。

 

 かのように自由なる世界とは、限りなく楽しく、また同時に限りなく苦しい世界なのかもしれない。あるいは笑いに満ちた限りなく喜劇的な世界なのかもしれない。

 

 朝、大雨は急に上がり、晴れ間が差して青空となり、鮮明な虹が大きく架かり、駒ヶ岳が遠方からでも一望できた。しかしその晴天は一瞬のことで、虹はものの数分で消え、再び激しい雨模様となった。このあたりではまだしばらく雨が続くらしい。今日は雹が降ったとのこと。確かに寒かった。

 

 少し疲れているような気がする。仕事はなかなか進まない。

63|181028|大沼公園

 朝目覚めて、決めたことを決めたようにやり、朝食を食べ、朝刊を読み、仕事にとりかかる。夕刻までに風呂に入り、食事をして、やるべきことを幾つかやり終えると、すでに予定の就寝時刻は過ぎている。

 

 30代も半ばを過ぎる頃までは、睡眠時間がどれほど短くても仕事が目の前に来ればどれだけでも集中し続けられると思っていた。

 しかし、最近はどうもそういうわけにはいかない。夜更かしは確実に支障を来たす。気にかける部下も同僚もなく、多くのことに同時並行で取り組んでいるわけでもないが、一日は今日もあっという間に過ぎていく。

 

 過労がたたり、何度か入院したことがあった。緊急対応が済んで身体がある程度落ち着きさえすれば、入院生活はこの上なく快適だった。

 医師や看護師の訪問、食事が準備される時間帯は一定で、それさえ守っていれば他の時間帯は自分の好きなように使うことができた。決められたリズムに則ったスケジューリングはいつもと比べて随分気楽だったし、必要あらばオンライン会議だってできるのだから、何のストレスもなかった。

 

 今ぼくは自らの意思により、自分の身体を少し特殊な環境に置いている。かつて何度か体験してきた入院生活は不慮の事態から始まったものではあるが、今の生活と何かしらの共通項を感じる。もちろん異なる点もあるように思う。

 

 意思による選択なのか、それとも不慮に身体が起こした選択なのかという違いはあるだろう。あるいは空気の流れも違う気がする。入院生活をしていたときにはぼくの周りには空気が流れていたが、今の生活でその流れを感じとることはできない。

 もしかしたら、今は凪いでいるのかもしれない。凪に身を置いて運動するために、これまでとは違う筋肉や神経細胞を使っているのかもしれない。何をしたというわけではないのだが、一日を終える頃には随分とくたびれてしまっている。

 

 そしてぼくはベッドに横たわり、うつらうつらと今日一日のことを思いながら、うとうとと安堵の波に呑まれていく。

62|181027|大沼公園

 10年以上前の独立を決意した頃のことを、あれやこれやと思い出していた。独立前に籍を置かせてもらっていた会社には随分と不義理をしてしまっていたかもしれない。言い訳するつもりはないが、離れてみていろいろ経験した今だからこそ気づけることもある。

 

 朝から雨が降っている。昨日より一段と寒い。やることが他にないということもあるし、とにかく昼過ぎまでは集中して机に向かうことにする。午後3時を少し過ぎた頃、露天風呂に向かう。紅葉が本当にきれいで感動する。外気が相当に冷たいので、長時間湯に浸かっているが意外と上気せないものである。鉛筆を連日長時間握っているからだとは思うが(それ以外には考えられない)、右手とりわけ親指が相当痛い。何もしていない状態でもビリビリ痺れている。温泉に浸けて、これ以上悪化しないことを祈った。

 

 今日はホテルの人にいろいろとお願いして部屋を整えた。居心地がよくなった感じがする。明日からの仕事がはかどると良いのだが、さてどうだろうか。

 

 夕食を求めて駅前に出る。もはやシーズンは終わっているのであろうか、人通りが全くなく、もの悲しい感じがする。余計なものが何もないからこそ仕事に集中できる面もあるのかもしれないが、ここはあまりに寂しすぎて、長居はしんどいかもしれない。息切れしてしまいそうである。ホテルに戻ってから、函館市内の宿泊先をリサーチした。海鮮料理が食べたい。

61|181026|大沼公園

 目覚めると、広く明るい窓には紅や黄へと枯れつつある美しい木々が一面に広がっていた。

 

 ホテル周辺には直営のパン屋ぐらいしかなく、ホテル内の施設にぼくが落ち着けそうなお店もスペースもなさそうである。露天風呂と自分の部屋ぐらいか。とにかく仕事に集中するには、いい環境と言えるかもしれない。他には何もやるべきこともないし、肚をくくって向き合っていこうとは思っている。

 

 コーチにも言われたように、自分の価値基準に収まる範囲内で「いいもの」をつくろうとしている感が否めない。手を動かしているうちに「いいもの」から逸脱しようとする働きは自然とやってくるのだが、その働きに意識を向けようとしなければ、それは無意識の作用に打ち消されてしまいがちである。そしてそうした何かを否定する行為を惰性的にやっているうちに、自然な勢いは失われていくことになる。

 

 「良い悪い」の判断を一時保留し、筆が進むに任せていきたいとは思いつつ、外部の目や評価を気にするエゴが即座に現れてしまいがちである。素を晒していきたいと思っているのだが、ぼくにとってそのことはなかなかに難しい。今さら何を晒したとしても喪うものなどなさそうなものだし、いずれにしても自らの持てるもので挑んでいくことしかできないのは頭ではわかっているつもりである。しかし、まだ未練がましく何かしらの執着が残っているようなのである。

 

 さらに悩ましいことに、未だに自分が何事に対しても全身全霊をかけて挑んだことがないような気がしてきたのである。それが望ましいことだとは、もちろんどうしても思えないのである。

60|181025|大沼公園

 札幌から函館へと向かうスーパー北斗に乗りこんで3時間余。大沼公園駅に到着した。夕方5時前だが既に陽は落ちて薄暗く、駅前には人通りもなく物悲しい。札幌と比べて随分と冷え込んでいる気がする。駅から徒歩数分のレストランで軽く夕食を済ませ、送迎バスでホテルへと向かう。

 

 中型バスにはぼく一人のようだ。「キタキツネがたまに出るんですよ」と運転手さんが言うも間もなく、黄色い小動物が姿を現した。このあたりはキツネだけでなく、リスもウサギも鹿も狸も熊も出てくるらしい。何もしなければ襲ってこないそうだが、熊が出れば警報が鳴るとのこと。

 ここで暮らす人にとって、それが日常の風景であり、生活の当たり前なのだろう。それなりの都会で生まれ育ち、今もそのときと大差ない日常を生きているぼくとは、どんな風に世界が違って見えているのだろうか? 最近そんなことをよく考えている気がする。

 

 ホテルには温泉があり、しかも露天だった。嬉しい。露天風呂の前には大きな沼が広がり、沼をはさんで紅葉した木々がライトアップされている。自身も自然の一部となって癒されている感じがする。明るい時間帯にこの風景を眺めたいと思いながら風呂場を後にする。狙ったわけではないが、今が紅葉を楽しむのにベスト・シーズンのようだ。ついているかもしれない。

 

 移動したからだろうか、ズシリと疲れている。明日から新しいリズムをつくり直さなければならない。

59|181024|札幌

 朝食後に雨上がりの公園へ。木々の葉が朝の光に照らされて赤に朱に黄に緑にあまりにも美しい。しばらくぼぉと見惚れてしまった。未明から雨が降っていたから雨露に光が反射しているのだろう。写真に収めようと思ったが手ぶらだった。部屋に携帯を取りに戻る10分ほどの間に、今の美しい風景は消えてなくなっているかもしれない。そう思いつつも急ぎ足で部屋に戻る。

 

 この木々の美しさに限ったことではない。ある瞬間を逃してしまえば二度と出会えないものばかりにぼくたちは囲まれているのかもしれない。そんなことを考えながら公園に戻ると、やはりあの瞬間とは何かが変わってしまっていた。ぼくは代わって登場した少し穏やかな木々の表情を収めることにする。しかしそれはそれとして美しかった。

 

 延泊したので部屋が変わって、上のほうの階に移ることになった。すごい。窓から公園が真下に見下ろせる。紅葉も含めた庭園の姿があまりにも美しい。時間とともに陽の差し入れる角度が変わり、公園はその雰囲気を穏やかに変えていった。ぼくは時とともに遷る公園の景色を何度もカメラで収めた。

 

 夜は音楽堂でのピアノリサイタル。どうやら世界的に著名なピアニストだったらしい。隣人に話しかけると彼女は函館からわざわざ来たとのこと。東京や大阪でのチケットはすでに完売しているらしい。

 会場にはドレスなど美しく着飾った人がたくさんいた。見るからにまだ小学生の子や、中高生と思しき少年少女も来ていた。ぼくは今日がピアノリサイタル初体験だったのだが、小学生あるいは中高生の時期にこのような場と接点をもっていたら、何かが今とは違っていたのだろうか?

 

 鉛筆の持ちすぎで右手親指の痺れがおさまらない。ぼくの持ち方が悪いのだろうか。それとも長時間作業がもたらす不可抗力なのだろうか。明日からついに札幌を離れて、函館方面へと向かう。

58|181023|札幌

 夢を見た気がする。知り合いの編集者。どうやって手に入れたのか、ぼくの原稿を読んでくれたようだ。ぼくは彼にダメ出しをされると思ってビビっている。ダメだと呆れられれば、ぼくはショックで立っていることすらできないかもしれない。しかし意外なことに彼はぼくの方向性を悪くないと思ってくれたようであった。ぼくは心底ホッとし、エネルギーが湧きあがってくることを感じている。そうか、このまま書き進めていけばいいのか。

 

 仮に11章ずつ書き進められたとしても、あと1ヶ月はかかる計算である。手書きの原稿をmacに移し換えながら整えていくつもりだが、あらゆることが初めてで、何にどれくらい手間と時間がかかるのか想像もつかない。初稿について遅くともいついつまでに終わらせておきたいという目安はもっているが、果たしてどうなるだろうか。

 

 今日は予定通りに終わらず、夕方過ぎまでホテルにこもっていた。夕食はホテル近くのジンギスカンを狙っていたのだが、なんと定休日。小雨のなかススキノまで歩き、気になっていたお店で味噌ラーメンを注文する。カウンター9席だけの狭いお店。驚くほど美味しい。少し固めのライスともマッチしている。満席のカウンターに座っている他のお客をそれとなく見やったが、ぼく以外の誰もライスを頼んでいないようである。北海道ではラーメンとライスを一緒に食べる生活文化がないのだろうか? 汗をだらだら流しながら、スープを底まで全部飲みほした。これで1,000円は安い。また来るだろう。

 

 ホテルに戻り、机に座る。目の前にある鏡がなんとなく気になり、よくよく見ると白髪が生えていた。ぼくは白髪が似合う男になれるのだろうか。何の手入れもしない割に、柄にもなくそんなことを考えた。