34|180929|広島

 台風24号が沖縄に上陸した。

 

 妻の話では子ども時分に体験した大型台風以来の激しさだという。とにかく相当の暴風雨なのだろう。このようなときに旅先のホテルにひとりでいるというのは、どうにも落ち着かない。せめて近くにいれば何かあったときに対応できるかもしれない。おたおたして何もできないかもしれないという気もするが、身を盾にでもという気持ちはある。今は電話やLINEで遠方から呼びかけるぐらいのことしかできない。現実には彼女から何かしら求められているわけでもなく、ぼくの一人芝居であり、余計なお節介と思われているだけかもしれない。

 

 広島も朝から雨が降っている。

 

 夕方から従姉夫婦に広島焼をご馳走になる。広島一おすすめの店を案内してくれたようだ。従姉のKは、ぼくの広島人のイメージを象徴している。。ファッションからライフスタイルから何かとセンスが良くて、性格はさばさばしていながら情に篤い。広島人がみんなそうだと思っているわけでは決してないのだが、ぼくにとって広島の印象がいいのはKの存在が案外と大きいように思う。

 

 母の性格は祖母とそっくりらしい。面倒見が良いというのか、お節介というのか、人が良いというのか、いずれにせよ誰かのためになると思えば即座に具体的な行動に移す。それがぼくの母のお人柄らしい。そんな母にKKの母親(母の姉、つまりぼくの叔母である)も何度となく助けてもらったという。恩着せがましくなく、損得勘定もなく、ごく当たり前に他人の面倒を見るのが元来からの母の性質らしい。そう言われてみれば確かに思い当たる節はなくはない。

 

 子ども(ぼくと弟だ)を何よりも優先して生きてきた彼女を、思春期以後わずらわしく感じることはたびたびだった。大人になった今でも激しい口論になることはしょっちゅうである。ワタシもお節介なんだよね、とKは言う。シンちゃんもそうだしね、と付け足して笑う。

 

 祖母の血を強く継いでいるのかもしれない。ぼくにもお節介者の要素は確かにある。とりわけ妻や娘との関わりのなかで、その要素が行き過ぎて出てしまうことは自覚している。そしてぼくが彼女たちから見返りを求めていないかと言えば、とてもそんな境地にはない。認めたくないが、それがぼくの真相である。

 

 自分のなかにある受け容れがたい要素を認めることによって、ぼくやぼくの大切な人たちは少しでも生きやすくなるのであろうか。そしてそもそも、どのようにすれば認めがたいことを認め、受け容れがたいことを受け容れられるようになっていけるのであろうか。