36|181001|広島

 彼の夢を見た。二人で談笑している。独立後の彼は順調そうで、身体中にエネルギーがみなぎり溌溂とした様子である。インターン生含めて15名ものメンバーと多種多様なプロジェクトを推進しているという。ぼくは彼の活躍を好ましく思っており、やっぱりすごいヤツだなと感心している。当時の思い出を振り返りながら、こうして再び気持ちよく会話を交わせることを嬉しく思っている。場面転換。ぼくを見守ってくれていた先輩2人が登場。彼らは何かを隠しているようだ。誰かに見つからないように気にしながら人混みのなかに紛れていく。そして2人はぼくの視界から消えてゆく。

 

 すっと目を開く。時計を見ると647分。夜更かしした割に案外早い。胸につかえていたものがとれたような気がする。つかえがとれて初めて、それがつかえていたと気づくものなのかもしれない。すっきりしている。ぼくのなかにあったわだかまりの大半は解消したような気さえする。きっと今日も彼は、誠実にひたむきに仕事や家族に向きあっているのだろう。

 

 台風は過ぎ去ったようだ。部屋の窓から青く広がる空が見える。すがすがしい朝。

 

 午後から平和記念公園に散歩に出かける。平和の灯と原爆ドームに向かって合掌。母の兄は原爆が投下された日に亡くなった。母方の祖父母や親族そして母も被爆者の一人であり、すでに祖父母は公園の慰霊碑に名前が刻まれている。

 母方の家系はそれほど身体が丈夫ではないようで、被爆が身体に与えた影響は何かしらあるのかもしれない。息子であるぼくが病気を発症したとき、母は自身の被爆が遠因ではないかと自らを責めていたと聞く。原爆の被害者である母が自らを責めなければならない公正な理由をぼくには見つけることができない。もちろんぼくの心中にも彼女を責める理由など見当たらない。

 なんでも先回りして痒いところに手を差し伸べてくる母に鬱陶しさを感じることはある。しかしそれとは次元が違う。母には感謝している(もちろん)。ぼくは彼女のように勤勉に働き、他人に愛情深く関わることはできそうにない。彼女へのぼくの責務は自分が幸せに生ききること。そしてそのことで彼女の自責の念が少しでも緩まればと思っている。

 

 叔母夫婦の家で夕食を呼ばれた帰路、従姉のKがぽつっと言った。平和を引き継がないかんよね、と。ぼくはその言葉の先に会話を継がなかったし、彼女の真意はわからない。しかしその言葉に誘われてか、被爆地である広島を舞台にした漫画「はだしのゲン」を何度も何度も読み返していた幼少時代をふと思い出す。あの頃あれほどまでにのめり込んだ理由を探ってみたら、何か大切なものを発見できるのかもしれない。