2019年 年頭のご挨拶|190101

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 さて、一昨年春に思いがけない出来事があり、しばらく失意と絶望に打ちひしがれておりましたが、おかげさまですっかりと元気を取り戻しました。これまでの人生で最大の挫折経験でしたが、おかげさまで多くの不要なものを手放すことができ、これからの人生で大切なことがはっきりし、目の前に現れる世界が以前よりも鮮明に見えるようになった気がしています。

 

 昨年は、沖縄に家族との生活拠点は置きつつも、沖縄での仕事がほとんどなくなったという事情もあり、福岡・広島・大阪・京都・東京・北海道などを行き来しながら、これまでを振り返りつつ、新しいリズムをつくる日々を過ごさせていただきました。

 

 新卒採用の責任者をやったり(10年ぶりに大学生の皆さんと深く関わった気がします)、建築設計事務所とともにオフィス・リノベーションに取り組んだり、ずっと関わらせてきていただいたNPO法人のリブランディングに取り組んだり、士業オフィスの事業構想づくりやブランディングをやったり、社会福祉法人の未来構想づくりの場をつくったり、経営してきた一般社団法人は収益事業化がうまくいったので少し休ませていただいたり、と充実した1年となりました。失意の淵にあった時期、あるいはそこから何とか立ち上がろうとしつつある時期にお声かけいただいたり、ご一緒させていただいた皆さんには、本当に感謝しております。どうもありがとうございました。

 

 また、これら法人向けのプロジェクト・デザインやディレクション、経営支援のお仕事と並行して、個人向けのパーソナル・セッションをスタートしました。昨年の立春以後、身近にご縁のあった方のみにご案内させていただき、経営者や、転職や移住希望の方、能力開発を目的とした方など、何らかの人生の転換期を迎えている方々に、50100分のセッションをやらせていただいています。

 

 ぼくにとってのパーソナル・セッションとは、「たった一度の限られた人生のなかで、本当に大切にしたいことを大切にして生きることができるように」という意思と願いをもって、それぞれの時間を、真摯に誠実な関わりあいへと投じあう営みです。ぼく自身の経験上、自らの両目だけでは、自分自身の真なる姿をクリアに認識することが難しいのではないかと思っているわけですが、こうした真摯で誠実な関わりあいの場こそが、これからのぼくにとって、一つの生き筋になる可能性を感じることができた1年にもなりました。

 

 こちらのパーソナル・セッションについては、今年の立春を機に、SNSBlogWebなどを通じてご案内させていただければと思っています。ご興味ある方は、ぜひご連絡いただければ幸いです。

 

 また、こちらのHatena Blogにて、細々とですがブログをはじめております。正直なところ、昨年までは「誰かのため」を意識しないようにして書いてまいりました。ですから、アテのない自分語りをしているように思われるかもしれません。

 今年からは、少しずつでも「自分のため」と「誰かのため」とが結びついていくようなものを仕立てていければと思っております。時折お立ち寄りいただき、ご笑覧いただければ嬉しく思います。

 

 おかげさまで、ぼくは42歳になり、娘は6歳になりました。家族全員、とても元気にしております。ぼく自身は、何よりも大厄の出来事から学び得たことが大きく、シンプルな意思と願いをもって後半生をはじめられることを幸運に思っております。

 

 2019年からは、ぼちぼちと自らを開いて動いていければと思っております。みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

感謝

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 自らが置かれた場において、その場に関わりながらも、その場と適切に距離を保ち続けることができるようになりたいと思う。

 

 ぼくには、その場に入り過ぎてしまう傾向があるようだ。少しでも気を緩めると、もはや後戻りできないところにまで入り込んでしまう。そしてもちろん、後始末は自らの責任でつけなければならない。

 

 そうした傾向があったおかげで獲得できたものがあったことは言うまでもない。だからこそ、これからは場に引き込まれないようにぐっと踏みとどまり、どんな状況であれ自由でフラットにあり続けられる心と身体を確立していかなければならないと思うに至ったのだと思う。

 

 ぼくの周辺も刻々と動いているのであろう。どこかの誰かがぼくに向かって呼びかけてくる気配のようなものを感じる。

 

 これまでのぼくは、そうした身の回りに漂っている気配のようなものに身を委ねるようにして身を処してきたと言えるかもしれない。おそらく、自らの状態により意識的であろうとしなければ、これまでと似たような状況のなかにぼくは埋没していくことになるのだろう。

 

 そうならないためにも、当たり前のように流れる日常のなかで、自らを節制しうるだけの身体と心を整えておかねばなるまい。

 

 事は気づいたときには始まっている。そしてぼくは、始まってから辻褄を合わせてきた自らのあり方に、ほとほと飽きてしまったのである。

ある出来事が起こることの意味についての考察|181231

 12歳での小児糖尿病。40歳での会社の崩壊。なぜこんな目に遭わなければならないのだろうか。晴天の霹靂に起こったこれらの出来事は、ぼくにそんな思いを抱かせた。

 

 病気になってしばらく、ぼくは自分の人生が取り返しがつかないほど損なわれたように感じ、絶望の淵にいた。これまで言いつけを守って良くやってきたと言うのに、あまりに酷い仕打ちじゃないか。神様なんてどこにもいるわけがない。あまりにも大きな驚きと悲しみと憤りを処理することができず、とりあえず神様と世界と家族を恨み、10代の思春期を過ごした。

 

 とは言え、時は前に進み、ぼくも一つずつ年齢を重ねていった。いつまでも誰かに保護された子どもでいるわけにもいかない。生きる意味を探索していたぼくは、ユング心理学の大家である河合隼雄氏の存在を知り、自らも含めた人間の心に関心をもつようになる。そして人間理解を深めるプロセスを通じて、自らの孤独や依存心の根深さに気づくに至る。

 

 当時、ぼくは教師やカウンセラーになりたいと思っていたが、その憧れが自らの欠損から生まれたものであると気づいてしまった。自らの欠損を他者と関わることによって埋め合わせようという無意識の企みを知ってしまった以上、ぼくは別の道に進まなければならないと思った。誰かを真に癒したいと願うのならば、まずは自らの欠損を直視し、自らの責任でそれを解消できるように挑まねばなるまい。そうして、ぼくは大学卒業後に沖縄に移住し、自ら会社を創業するに至った。会社名は「そのものが生まれ出ずるところ」を意味する「ルーツ」を命名した。

 

 心の世界は、目にが映らず、現世的利益を直接的に生み出すわけでもない。そうした世界を直視し続けるためには心の力が必要である。ぼくはいつしか、自らの内側に損なわれながらも存在しているはずの「もう一人のぼく」に向き合うことができなくなっていった。

 

 ルーツはうまくいかないことばかりで、長期にわたって鳴かず飛ばずであった。しかし失敗するネタが尽きたのか、ある時期から少しずつ上向きになっていった。人間の可能性を追い求めた結果、仕事づくりや地域づくりにも関わることになり、多中心のコンテクスト・カンパニーとして多種多様のプロジェクトを手がけた。売上は1億を超え、あらゆることが順調に流れ始めているかのように思っていた。ぼくはちょうど40歳になったところだった。30代前半で多額の借金に首が回らなくなり、無報酬で働いていた時期があったことなどを振り返りながら、やっとの思いでここまでたどり着けたことにほっとしていた。さぁこれからが本番だ。「沖縄のイノベーション、沖縄からのイノベーション」をコンセプトに事業をさらに展開し、沖縄の公共財となるべく役割を全うしていこうと意を新たにしていた。

 

 そんな2017年の春、役員と全社員が一斉に離職した。役員の辞職通知を受け取ってから1ヶ月半という短期間で、ぼく以外の全員が会社から去っていった。上昇気流に乗って順調と思っていたルーツは、あっという間に墜落。木っ端微塵となった。ぼくは愛着ある40坪のオフィスをひとりで閉め、とりあえず近所にアパートの1室を借りた。人間不信となり、自律神経もおかしくなり、前半生を賭けた会社の崩壊にアイデンティティ・クライシスに陥った。これからどうやって生きていけばいいのか、途方に暮れた。

 

 そして、あれから1年半が経った。

 

 あれほどの出来事が起こることがなければ、ぼくは二度と自らの心の真実に向きあうことができなかったのかもしれない。予想外の病気という形態をとって、12歳の頃にはすでに兆しは現れていたが、心の世界の真実を知るのは楽なことではない。これまで自分が大切にしてきたことを否定しなければならないことだってある。ひとりの人間のなかに美しいものが必ずあるように、美しいと言いがたいものもきっとあるだろう。できるならば美しいものだけに囲まれて生きたいという思いだってある。少なくともぼくの場合は、グロテスクなものと共存しているなんて思いたくもなかったのだ。しかし、存在しているものを無視し続けることは結局のところできなかったのである。

 

 ぼくの前半生は、会社の崩壊とともに終わったのかもしれない。ぼくはきっとあのときに一度死んだのだ。しかし、ぼくはこれからも生きていかねばならない。自分自身のために、愛する人のために。ぼくはようやく諦めて、これまで見ないようにしてきた「もう一人のぼく」に向き合いはじめた。光の裏に存在していた影の自分。それと向き合い、出会い直し、その存在価値を認めることは、ぼくが大学時代から望んでいたことであった。

 

 沖縄に移住し、会社を創業し、15年以上が経っていた。ぼくはなぜあれほどまで、他人の人生に、他人のチームや組織に、あるいは暮らしているわけでもない他所の地域に、自らを賭けて深く関わろうとしてきたのであろうか。その理由が「もう一人のぼく」と出会ったときに少しだけ理解できた気がした。損なわれているように見えていたものは、ぼくに損なわれていたものであった。ぼくは自らの心を映し鏡にして世界を眺め、その世界に関わってきていたのだ。「誰かのため」という巧妙なコーティングの下には「ぼく自身のため」という地金が隠れていた。しかもなんとも恥ずかしいことに、ぼくは火事場にレスキュー隊で飛び込んでいる正義のヒーロー気取りだったのである。

 

 ここに至ってようやく、ぼくは自らの存在に基礎づけられている深い孤独や依存心の存在を少しながら認めることができたのかもしれない。そうした影に見えるものたちこそが、ぼくの現実的で実際的な価値を生み出していた源であったのかもしれない。影を伴わない光は存在しない。現実に目を奪われるがあまり影の存在を無視しようとしてきたことは、あまりにも傲慢だったのかもしれない。目の前に起こる出来事を通じて、人生は不思議とぼくが本来歩むべき方向を示してくれているのかもしれない。たとえそれが表層的にはぼくが望んでいることではなく、また場合によっては深い苦しみや葛藤を生み出すものであったとしても。

 

 

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 目の前に現れる課題や葛藤、苦悩に価値はあるのだろうか。それらにはネガティブなイメージが付着している。善悪で言えば悪のイメージで捉えられることのほうが多いように思う。

 

 それらには何らかの価値がある。そう仮定すると、そこから逃避すること、それらを回避すること、あるいは他者との関わりなどからそれらが解消することが、喜ばしいことだとは一概に捉えられなくなってくる。

 

 誰かが困っている状況に遭遇する。そうすると、ぼくはつい手を差し延べたくなる。それは意識的にやっているというよりも、その衝動を抑えられないと言えるかもしれない。手を差し延べたくなる衝動がぐわっと湧いてくる感じである。

 

 なぜ手を差し延べたくなるのか。ぼく自身がそれなりに困ってきたからであろうか。他者のそうした場面に遭遇すると、共感して居ても立ってもいられなくなる。なぜなのだろうか。

 

 手を差し延べるとき、そこに「善意」は存在している。しかしながら正直なところ、放っておくことができないのである。その状況を放置しておくことで襲ってくる罪悪感に耐えられない。それがどこまでエゴイスティックなものなのかは分からない。だとしても、表から見て「善意」ある言動にもエゴが含まれていることは否めない。

 

 課題や葛藤、苦悩にも光が含まれている。だとすれば、そこから人が解放され楽になるということには毒が含まれている可能性もあるのかもしれない。ぼくが誰かに手を差し延べたあのとき、その人の養分を奪ったこともきっとあったに違いない。ある意味では変化、成長する機会を奪ってきたのかもしれない。余計なお世話ってやつだ。

 

 目の前に苦しんでいる人が現れたら、これからぼくはどうするだろうか。もちろん関わっていくことはあるだろうが、これまでなら関わってきたケースであっても関わることができなくなることもあるのかもしれない。

 

 人に関わることは、そうした善と悪、光と影とが表裏一体となった営みである。生きることそのものが、その繰り返しによって成立している。

 

 ぼくはこれまで、ある意味では盲目的に他人に手を差し延べてきたのかもしれない。そんな自分になることをどこかしら目指していたような気もする。ぼくはそこに近づいていく自分に満足していた。「世のため、人のため」に活動している自分に酔っていたのかもしれない。

 

 自分は間違っているのかもしれない。過ちを犯してしまうかもしれない。あるいはすでに過ちを犯してしまっているのかもしれない。今のぼくには、そうした恐れが芽生えつつある。それはまだ微かな兆しであるが、そんな恐れとともに生きている今の状態は、悪いとばかりは言い切れないのかもしれない。むしろ今のほうが、幾ばかりかでも自分以外の他者とフェアに付き合えるのかもしれない。

 

 そうやって振り返ってみると、「自らを満たす」ために、ぼくがこれまでの人生を生きてきたことが浮き彫りになってきたように思えてくるのである。

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 適性も感じておらず、得意でもなく、関心もなかったことに、なぜ長期にわたって取り組んできたのですか?

 

 そう問われて、何も考えていなかったからとか、やればできると思っていたからとか、やってみないと分からなかったからとか、さまざまな答えが浮かんでくる。

 

 ぼくは(おそらく)飽き性だと思う。熱しやすく冷めやすい面をもっている。そんなぼくが、楽しいか楽しくないか、好きか嫌いか、得意か不得意かという個人的な事情は横に置いて、なんだかんだありながらも15年続けてきたのが会社経営である。つまり、自らが立ち上げた会社の維持と発展である。

 

 決して得意とは言えないテーマに正面から向き合ってきた結果、獲得できたことがあるということは、ぼくにとっての救いである。

 

 そのうちの一つが、幾ばかりかでも世界や他者を身体的に理解できたことではないかと思う。思考やイメージ優位に世界を認識する傾向が強いぼくにとって、そうした身体的理解とは得難く価値あるものなのかもしれない。

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 新しいプロジェクトのキックオフ・ミーティング。夏から地道に仕込んできて、いよいよ具現化に向けた動きが始まる。総勢8名のチームの顔ぶれだが、これが初めての関わりになる人もいる。可能な限りで下準備はやってきた。あとは実際に動き始めてみないと、何が起こり、何が生まれてくるかは想像もつかない。今日の場をつくるところまでがぼくの最大の持ち場であったのかもしれない。

 

 チーム・メンバーは個性的で実力ある方々が揃っている。それぞれが持ち合わせているものを、可能性も含めて表現し、一つずつ積み重ねていくことによって、行き着くところまで到達できるという感触を得た。そこにはチームの気配があったし、これからの関わりを通じて、ぼくたちはチームになっていくのだろう。

 

 人はそれぞれ個性的で、誰一人として同じ人はいない。そんな当たり前を大切にしながらプロジェクトを組み立てている。違いをもった人が集まり、その違いから生まれるかもしれない価値創造の可能性にぼくは惹かれる。それは、その場に誰一人として欠けていたとしても生まれ得ないものである。

 

 そして、その場に新しい何かが生まれたとすれば、ぼくたちがそのプロセスのなかで、持てるものを差し出し、時に交換し、関わりあって、それぞれが学び変容したということでもあるのかもしれない。ぼくは、仕事を通じて他者と関わり合えることをありがたく思う。他者と深く関わり、学び、新たな自分と出会っていくために、ぼくたちは仕事という形態をまとった「媒介」を必要としているのかもしれない。

 

 ぼくにとって、そしておそらくはチーム・メンバー全員にとっても、新しい挑戦が始まった。それを実際的に始められたこと、そして、その場に始まった気配を感じられたことに、ぼくは深い幸福と安堵を感じている。

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 何かがぼくを呑みこもうとしている。その渦に反発し逃れようとすれば、単に孤立するだけになるであろう。呑みこまれず、反発もせず、その場に水平に立ち続けるために、心の力が必要である。不安や恐れ、さみしさや孤独の感情に乗っとられず、踏みとどまり、持ちこたえる力、そこに居続ける力である。不安などのネガティブな感情に激しく侵襲されるときがある。そのときこそ、ぼくはぼく自身であることに意識的にならなければならない。

 

 他者とともに生きるということ。ぼくはそれが一体どういう状態であるのかを、体感としてまだ理解していないのだと思う。心の力を高めることは、そのとば口にぼくを立たせてくれるのかもしれない。