26|180921|仙台,名取,七ヶ浜

 早朝便で仙台空港に到着。多忙な彼が予定をあけて待ってくれていた。

 

 東北には縁がなかったが、彼が東日本大震災で被災したことを機に何度か足を運んだ。今回は随分と久しぶりで、おそらく5年ぶりだろうか。第1次産業における課題意識をもとに領域を横断した地域振興を手がける彼には、震災前には何度も沖縄に足を運んでもらった。資金繰りに行き詰まったときに助けてくれたのも彼だった。震災を機に、彼はますます力強く事業を展開するようになり、うち1社では備蓄用ゼリーの開発に成功し上場に向けて動いているそうで、近く全国紙の1面に取り上げられるという。今回同行したラジオ収録でも「ぼくたちは被災地として世界中からご支援いただいた。この地には課題先進地としての価値や役割があるんじゃないかと思っている。受けたご恩をここから世界へと返していきたい」と力強く語っていた。

 

 「水臭いじゃないですか、イマヅさん。そういうときこそ、ぼくに1本電話してくれたらいいのに。」ぼくの近況を聞き、彼は言った。「これまで何度も同じこと言ってきたんだけどね~、イマヅさん、見た目とは違って頑固だからな~、人の話聞いてないですもんねー。」豪快に笑い飛ばし、彼ならその局面をどう対処するか、もしぼくからの電話が入っていたらどう対処するかを語った。昔から変わらない、彼はそうだった。ぼくは彼から道理を学んできた。自らにとっての真実、そして人との関係に筋を通すということ。

 

 なぜあのとき、ぼくは彼に電話しなかったのか。電話1本すらできなかったのか。見るからに多忙な彼に遠慮したところがあったのも事実だが、それだけではなかったのかもしれない。彼ならきっとそう言うとわかっていたのだ。そして彼は言った以上はやる人であり、やると決めたら徹底的にやりきる人なのだ。ぼくが資金繰りに詰まったとき、彼は何も言わずに具体的に助けてくれた。要はあのときのぼくには彼に頼るだけの意思も覚悟も勇気もなかったのだ。ただそれだけのことだ。

 

 しかし、たった一人でもいい、そんな風にどこかで思ってくれている人がいるということが、ぼくを深く励まし、時に救ってくれもする。

 

 今も昔も、彼が楽な状況にあるわけでは決してないだろう。震災後、以前より大きな責任を引き受け、自らの身体を引きずりながら、前へ前へと歩み続けている。「随分と図太くなりましたよ」と彼は笑う。自らの損得、自らの限界を越えていく挑戦を今も変わらずに続けている。ぼくは彼を鏡として自らの姿を映す。ぼくのなかに彼が息づいている。お天道様のもとで笑って再会できたらと思う。そしていつの日かまたともに仕事ができればとも思う。そんな願いがぼくに力を与えてくれる。

 

 夕刻、妻と娘が仙台空港に到着する。彼女たちにとって初めての東北。彼が運転する車にスーツケースを入れ、彼のレストランへと向かう。彼の家族とともに夕食をいただく。テーブルには新鮮な魚介類やお肉、野菜、そば、デザート、お酒が次から次へと運ばれてくる。生ものに目がない妻が嬉しそうにしている。随分久しぶりに妻と一緒に酒を飲む。娘は娘で子ども同士で遊んで楽しそうにしている。食べきれないほどの食事を堪能して、再び彼の車に乗り込む。「こんなに忙しい人に」と恐縮する思いを横に置いておいて、今日は甘えさせてもらうことにする。

 

 夜道を30分ほど走ると、コンドミニアムホテル、カフェ、海の駅がある複合型マリンリゾートが見えてきた。彼は昔から言っていた。イマヅさん、具体的な仕事をつくらなきゃいけないんです、と。彼が初めてプロデュースしたそのホテルで家族3人川の字で眠る。明日の朝は名物パンケーキを特別に準備してくれるらしい、妻の大好物だ。56日の家族旅行は最高のカタチで始まった。ありがとうが響き続けている。